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自分らしく生きている素敵な人を見つけてご紹介していきます

育休は近いのに見えなかった“半径1kmの世界”を楽しむきっかけになる

男の育休リアルストーリー Vol.3

自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。
取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。

その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。

今回お会いしたのは、山下健介さん。
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(株)リクルートマネジメントソリューションズで人材・組織開発コンサルティングのマネジャーとして活躍されています。

“育休計画書”を作成して上司と相談したという山下さん。
なぜ育休を取得したのか、実際とってみてどうだったのか、
取得の準備や育休中の失敗談など、リアルなお話を伺ってきました。

山下さんの育休データ

・家族構成:奥さん、息子さん(6歳)娘さん(3歳)
・奥さんのお仕事:製薬会社勤務
・取得期間:第二子誕生から3ヶ月間

 

家族との向き合い方を変えたことで見えてきた育休という選択肢

−育休をとられたのはいつですか?
娘が生まれた2014年5月〜7月、ちょうど100日くらいです。
一人目の時には育休なんて全然考えもしなかったです。
一人目が生まれた時には、僕も部署を異動したばかりで覚えなければいけない仕事が多く、
生まれる瞬間だけは立ち会いに行かせてもらいましたが、それ以外は全然育児にしっかり関われていなかった記憶があります。
一人目のときは異動後初めてのお客様に対する研修実施納品の当日に生まれて(笑)、お客様や一緒に働いている方々のご好意で何とか調整をして駆けつけたという感じでした。
異動したばかりだったこともありますが、周囲にとった方がいなかったので当時は育休なんて考えつかなかったですね。

−一人目が生まれてから二人目が生まれるまではどんな働き方、家族との関わり方をしていたんですか?
妻が1年間は育休を取っていたんですが、保育園に入った半年間は本当に大変でしたね。
僕は当時、保育園に子どもを送り、帰宅後に皿洗いをするだけ。
それ以外は何もしていなかったけれども、自分は育児も家事もやっているという気になっていました。
段々と妻の負担が大きくなっていったこともあり、よく喧嘩していた気がします。
一方で仕事も徐々に大きな案件にアサインしていただくようになってきたので、やりきらないとという思いもあり
「このままで続けていけるんだろうか」と半年くらい悩んでいました。
ですが、よくよく妻の話を聞いてみると「色々とやってほしい」というわけではなく、
「ここだけやってくれたら助かる」と言っていることがわかってきたんです。
例えば、妻は朝、夕飯の準備をして出かけるんですが、その間に子供の保育園の準備や朝食を食べさせるのを僕がやるとか。
そこだけやろうという約束をして初めてみたら、ちょっとずつ関係もよくなっていって
「これはたしかに大変だ」ということが体感的にわかったんです。
最初のうちは2人で頑張りましたがなかなか難しいということで、妻の両親が近くに住んでいたこともあり、
サポートに来てもらえる日を作ったり、徐々に妻の負担が減らせるようになっていきました。
ただ、僕は料理ができなかったので、完全には妻の代わりはできなかったんですよね。それさえできれば、休日に「ちょっと気分転換に外出してきていいよ」って言えるのに…とずっと思っていました。

−奥さんは何をされている方なんですか?
もともと製薬会社で外勤をしていて、子供ができてからは
内勤スタッフとして働いています。
大学時代は研究をしていたいわゆるリケジョ(理系女子)ですね。

−2人目ができた時は今回は育休を取りたいとすぐに思ったんですか?
思いましたね。
妻に何かあった時に代わりが担えないなと思ったんです。
家のどこに何が入っているかも知らないし、
生協をどのタイミングで何を発注しているかも知らないし、
予防接種のスケジュールとかも知らない…
これじゃまずいなと思いましたね。
あとは、長男とあまり関われていないと思っていたので、
このタイミングは長男としっかり信頼関係を築くチャンスだなと思ったんです。
2人目だから見る人も必要だしと。

 

“育休の先輩”の存在が大きかった

−それは2人目ができてから夫婦でそういう会話をしたんですか?

いえ、できる前からすでにしていましたね。
2人目がほしいねと話をしている段階で、
Twitter上で働き方に関するコミュニティを見つけました。
次に生まれたら育休を取りますってそこで宣言もしていたので、
すでに育休を取っていた他社の先輩に話を聞かせてもらっていたんです。

−育休を取ろうと思ったのは何でなんですか?
一番はやっぱり子供との時間は一瞬で過ぎていくなと思っていたこと。
僕は人生において家族との時間はなるべく大切にしたいなと思っていたので
1人目が生まれてからこのままで良いのかなとずっと思ってたんです。
そこで、過去に他社や会社で育休を取られていた先輩に話を聞いたりして情報収集しました。

−育休の先輩にはどんな話を聞いたんですか?
育休への入り方を中心に聞いていました。
職場で代替になる人がいないことへのケアが重要だから、早めに上司に意思を伝えておいた方がいいという話をもらいました。
実際に取得したのは2014年の5月からですが、半年前の2013年11月くらいには上司に話をしていました。
引き継ぎの計画も自分で立てて、上司に進捗共有、相談しながら作っていきました。
子供ができたとわかったのが9月か10月くらいなので、できて1ヶ月くらいで上司には伝えたという感じですね。
引き継ぎの計画も最初に話す時に大まかなものはすでに作ってあったんですが、
それをいきなりドンと出されても「お、おう」と戸惑うだろうと思ったので(笑)、
まずは気持ちを伝えるところから話をさせていただきました。

 

引き継ぎプラン資料化・収入のシミュレーションなど周到に準備

−最初に話した時の上司の方の反応はどうだったんですか?
「お話があります」と僕が切り出したのでどうやら辞めるって言い出すと思われたようで、
第一声では「驚いた」と言われました。
そのあと「これからはそういう働き方が必要になってくると思うし、良いと思うよ。」
「でも自分も経験したことがないし、わからないから一緒に考えよう。」と言ってもらえました。
そのお話をする前から僕は『2030年の働くを考える』という社内プロジェクトに参画していて、世の中の働き方の変化に興味がありました。それを職場でも話していたので、
「あいつならそういうことも言うかもな」と思われていたかもしれません。
上司から育休取得にOKが出たのは本当にうれしかったですね。
当時は妻の負担や自分の働き方を考えたときに、いまの生活を続けるのは難しいかもしれないと本気で思っていたので
ちょっと思いつめていたかもしれません。そんなに思いつめなくても、当たり前に選べるような世の中にはなってほしいなとは思いますね。

−育休のための引き継ぎ計画というのは具体的にはどんなものなんですか?
とある外資系企業で以前に育休を取られた方が、計画書を作ってフォーマットをブログで公開されていたんです。
それをベースに自分用に作り変えました。
育休での休み方も色々とあると思うんです。
長尾さん(3ヶ月の育休取得をきっかけに働き方改革!育休の年に全社表彰を受賞 - 100 × 1000)や

佐藤さん(育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる - 100 × 1000

のように引き継ぐというやり方もありますが、
僕は一度休んでまた同じ仕事・職場に戻ってくるという選択をしたので、どなたに何をどのように担っていただくかは丁寧に設計しました。
僕らのやっている仕事は、大きく分けると2つの工程があるんです。
一つ目は人材開発や組織変革に向けた企画設計の段階、そしてもう二つ目がそれを実行してモニタリングしていく段階。プロジェクト自体は社内外の専門家と協働しながら進めるので、工程によって役割分担のウエイトが違うんですね。当時進めていたプロジェクトでは、僕は前者の企画設計の役割の比重が高かったんです。ちょうど育休に入るタイミングでそのフェーズに区切りがつき、2つ目の実行・モニタリングフェーズにあたる案件が多かったということもあり、各案件ごとにスケジュールを調整していきました。。結果として、必要なものは他の方に引継ぎ、そうでないものは再度復帰後に私が担当させていただくという段取りをつけることができました。これは、担当していたお客様や協働している方の協力なしには出来なかったので、本当に恵まれていたなと思います。

先人がブログでサンプルを公開してくださっていたのも非常にありがたかったですね。
この準備期間中はとにかく生産性を意識していたので、ありがたいことに結果的に社内で表彰をしていただくこともできました。
やっぱり期限が決まると人は工夫するんだなという経験ができたのが大きかったですね。


−奥さんに最初に言ったのはいつだったんですか?
8月にTwitter上で『育休取ります宣言』をした後くらいに
「もし二人目ができたら育休を取ろうかと思ってる」という話はしていました。
いきなり本気のトーンで言っても「え…?」となってしまうと思ったので、
「どうせ嘘でしょ」みたいなやりとりをちょっとずつ重ねておくことも必要だろうと思っていたんです。
実際に上司に話す前にはもう一度ちゃんと「今度上司に話してくる」ということを伝えました。
その時は「本当に取るんだ」「そんなことして(キャリアは)大丈夫なの?」という反応でした。
「自分の経験自体がお客さんへの提案にも活きる仕事だから大丈夫だよ」ということを伝えて、わかってもらえました。そういえば、奥さんよりも実家の両親の方が「大丈夫なの」と心配していましたね。(笑)

−そのあたりの準備がすごく丁寧というか、周到な印象です。
たまたま周りに色々と情報があったということがラッキーだったと思います
あとは収入面でも人事の後輩が相談にのってくれて、2ヶ月なのか3ヶ月なのか、育休を使うのか有休を使った方が良いのか、
各パターンをシミュレーションしてもらって取得の仕方も決めました。
結果的には、最初の1ヶ月は有休にして、残り2ヶ月を育休として取得しました。
残りの有休数を見て、このパターンが復帰後に子供の病気など突発的に休みが必要になった時のために
有休をとっておける、且つ、収入面でのダメージが一番少なかったんです。

 

楽しい半径1キロ圏内の生活

−育休始まってみてからはどんな感じだったんですか?
5月のゴールデンウィークくらいが第二子の出産の予定日でした。
休みに入ってから約2週間くらいあったんですが、
それまでに妻のやっていることをある程度引き継ぎを受けておかねばと思っていました。
そうでないと長男との二人の時期が乗り切れないと。
初日はまず衣装ケースの引き出しに何が入っているか、どういう順番で入れるか、どういう時に使うものかを
教えてもらうというところから始まりました。
あとは最低限の料理の指導ですね。
奥さんからは「なんでその切り方をしたのか」とか指摘を受けてましたね。子供がニンジンの切り方が大きいと食べないとか、炒めるのにその切り方はありえない、とかです。確かにつくってみると、そのやり方通りにした方がおいしくできるのですが、ついつい反論してしまったりして最初はうまくいきませんでした。
佐藤さんから「新人なんだから自分の意見を主張する前に、まず全部奥さんの言うことを聞くんだ」とアドバイスをもらっていたんですが、ダメでしたね。新人失格です(笑)

−育休に入って生活が変わって、最初はどう感じられていましたか?
楽しかったですね。自分の知らない世界だったので。
新しいスキルが自分に身につく楽しさや、近所の公園でのコミュニティなどが新鮮で楽しかったんです。
育休中はほとんど半径1キロ以内で生活をしていたので、最後は電車に乗るのが怖くなっていましたね。
それから、普段よりも奥さんと一緒にいる時間が長いので、
普段はなかなかちゃんと背景まで聞けていなくて表面的なことで口論になることも
相手の話がちゃんと理解できるようになったのは良かったです。
「ああ、そういうことを考えていたんだ。アプローチは自分とは違うけど、言っていることはわかるわ。」
という風になれたのが良かったです。
最初はうまくいかなかった料理も次第に慣れてきて、最後の方は奥さんが起きてくる前に作り終えてしまっても
「おいしいね」と言ってもらえることが増えていました。結果としてですが、一人で黙々と料理しているのでやり方について揉めることもなくなり、お互いにとってよかったかもしれません(笑)。
あとは作るもの自体も変えていきました。
妻のレシピを真似ようと思うとあたりまえですが味が同じになってしまうので、
自分で新しいレシピを調べてきて作るようにしたんです。
そうすると、産後で外食がなかなかできない妻も家で新しいものが食べられるし、好評でした。


−育休中は奥さんも家にいらっしゃったと思いますが、家事育児は分担していたのか臨機応変にやっていたのか、どんな風にされていたんですか?
お休み中の食事は全部僕の担当でした。あとは長男の保育園の送り迎えですね。
奥さんには生まれた赤ちゃんの育児を全てやってもらって、長男との生活を僕がやっていたという感じですね。
あまり外に出たりしていなかったですね。週に1回、地域の集まりとか知り合いに誘われたものに行くくらい。
なので、やたら保育園のママや保育園の先生と仲良くなって、一日保育参加みたいなことも希望してやりましたね。
これはなかなか良い経験でした。
2〜3歳児は「本読んで」と言って本を持ってくるんですが、読んでる途中でもうどこかに行ってしまう。
それが何人も五月雨にやってくるので、1人1人丁寧に相手をしていると成り立たないということに気がつくんです。
頭で考えて対応するよりも、感じるままに対応していければ徐々にどう接すれば良いのかがわかってくる。

−なるほど、2人目が生まれてすぐだったからこそ必要なシェアのかたちだったのかもしれませんね。例えば、1人目で育休を取ろうと思っているんですという人から相談を受けたとして、その人にどんな風に取るメリットを伝えますか?
『父親になるためのスイッチ』を入れる期間として取ると良いんじゃない、と言うと思います。
奥さんが実家に帰ってしまっていると、奥さんの負担軽減と言う意味では成り立つと思いますが、
日々の小さな成長のプロセスを見ることはできなくなってしまう。
時間を共有するとか、その場にいるだけでも見えることがあると思うんです。
それがあった上で仕事に戻るのと全くそこが観れていないのとでは、その後の気の利き具合が違ってくるはず。
産後すぐだと育休を取っている期間中はパパにできることも少ないし、
期間中はひょっとしたら苦痛に感じることもあるかもしれないけど、後から考えると絶対に価値があると思います。
産後すぐなので、なるべく奥さんが動かなくて済むように家事側をやるのが良いでしょうね。でもそれも家庭によって違うかもしれないので、決めつけずに夫婦で話し合うのが大切な気がします。

 

育休を取ることで見えてきた世界

−やはり取得する時期によってその意味ややるべきことが違ってくるんですね。山下さん自身が育休を取られて良かったと思うことって何ですか?
まずは、料理を作れる自信がついたということはかなり大きいですね。
奥さんの代わりができるということだから。
それ以外でいうと、仕事以外の地域のことに目がいくようになったということですね。
公園に行った時に、ホームレスの人たちが社会復帰できるようにスポーツで支援をしている団体の方達に出会ったり、そういう普段は触れ合えない人たちと触れ合うことで、社会が見えてくる感覚を持てました。

−それは半径1キロという地域に視野が絞られたから見えてきたんですかね?
『生きている時間と場所』が変わったからだと思います。触れる情報が変わったから、思考回路が変わりました。
仕事ばっかりしている時には、家に帰っても仕事モードの頭になっている感覚だったんですが、そうじゃない自分というものを持つことができたんです。
『仕事上の役割でない素の自分』で物事を見ると見え方が変わってくる。
良い意味で空気を読まずに思ったことを言えるような場面も増えました
また仕事の日々に戻ったときに、いかにその感覚を持ち続けるかというのは今でも自分のテーマになっています。
お客様や協働者と話す時も、「仕事として」という関係から一歩踏み込んでその方がこの仕事で何を実現したいと思っているのかという、
パーソナルな価値観のところまで見て話すことができるようになったと思います。

−育休から戻った後の働き方は変わりましたか?
時間の使い方が変わりましたね。
育休から戻るときに家の中で二つ決めていたことがあって。
一つは平日に1日は必ず夕食を作ること。もう一つは週に3回、20時には家にいるということ。
これは数年間は続けていましたが、前者はいま出来ていないので、負荷をかけてしまっているなと思っています。
あとは、仕事だと、絶対に対面で会話をしなければいけないという前提を外したり、打ち合わせをなるべくまとめて移動が少なく済むようにしたり。
マネジャーとしても、メンバーに子供ができたら「いつ頃とるの?取った方が良いよ」と声をかけるようにしています。
その上で本人がどうするかは任せますが。
僕は必ずしもみんなが絶対育休をとった方が良いとは思っていないのですが、社内でとる人が増える、当たり前になることで選びやすくなるという意味では大切だなと思います。

本来は、時短勤務など毎日ちゃんと早く帰れるような働き方をすることも含めて選択肢があって、実際に選べるのがよい状態だと感じます。

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育休を取って触れ合う時間が増えると、実は仕事にも活きるような発見があると語る山下さん。
最後にこんな話をしてくれました。

家族に向き合っていると、どんどん仕事とプライベートの境界がなくなってくるような感覚があります。
「どちらかの時間がどちらかに取られている」という感覚だと時間がいくらあっても足りないんですが、
そんな風に行き来をしなくて良いように生きられると気持ちが健康になります。もちろん、いつもできているわけではないんですが、そうやって自分が捉え直すだけで、世界の見え方は変わりますよね。


これは僕も育休を取って捉え方が変わったところで、とても共感できるお話でした。
山下さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

パティシエ×フリーランスで描く新しいキャリアの在り方

#インタビュー #パティシエ #フリーランス #キャリア

 

自分らしく今を生きるvol.9 パティシエ堀田麻未

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

 

今回お会いしたのは、堀田麻未さん(23歳)。
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フリーランスのパティシエとは一体どんな働き方なのか、
なぜお店に所属しないという道を選んだのか、
その辺りに自分らしく生きるポイントがありそうですね。
まさにこれからの時代の生き方を実践され始めている堀田さんに
そのきっかけや今後の展望についてじっくり伺ってきました。

 

 

フリーランス×パティシエのきっかけは

−フリーランスのパティシエだと仰っていましたが、具体的にはどんなことをしているんですか?
お菓子のケータリング、イベントの運営、お菓子教室の3つをやっています。
元々イベントの運営を手伝わせていただくことになって、
それがきっかけでケータリングのお仕事も始めました。

屋号は「sweety」でゆくゆくは、株式会社にする予定です。

 

−いつからフリーランスとして動いているんですか?

一年前くらいからです。
元からそういう風に生きていこうと決めていたわけでは全くなく、
一度パティシエの見習いとしてお店に勤めて、そこを辞めてから色々な交流会に参加してたんですが、
そこであるカメラマンの方と出会ったのが大きかったと思います。
その方が運営メンバーとして関わっているイベントに呼んでいただき、
そこで料理のケータリングをオーダーしていたんですが、
「良かったらここでデザートを作ってくれないか」とオファーをいただいたのがきっかけです。
そんなことはやった経験がなかったですし、そもそも勤めていたお店でも
まだ下積みという段階だったので私で良いんですか⁉︎という気持ちでしたが、
その主催者の方から「良いよ良いよ好きなように作ってくれれば」と言っていただいたこともあって始めることになりました。

 

−色々なイベントに顔を出す中でそのカメラマンの方と出会ったというのが一つのターニングポイントになったんですか?
そうですね。未だにプロフィール写真を撮ってもらったりお付き合いを続けさせてもらっています。
その頃から「良いご縁が広がっていっているな」という感覚を持つようになりました。
この縁は直感的に無駄にしちゃいけないなと思ったんです。

 

−そのカメラマンの方と最初に会ってからどのくらいでフリーランスでいこうと決めたんですか?

最初にお会いしたのは独立する半年前くらいですね。
自分でも独立するなんて思ってもいなかったので、本当にびっくりです(笑)

 

就職先は一目惚れで決める

−その前は何をされていたんですか?
福岡の専門学校を卒業して、働きたいと思えるお店が東京にあった最初に就職したそのお店1店舗しかなかったんです。
お菓子屋さんはたくさんありますが、実際に見にいってみて
好きだと思えるところは本当にその1店舗しかありませんでした。
外観、内装、お菓子の味、全部が好きでした。
帰りにお店のガラスにスタッフを募集していると貼ってあったので、
そこで働くとすぐに決めました。

 

−素晴らしい意思決定スピードですね(笑)。他のお店はいくつくらい見たんですか?

15店舗くらい見ましたね。
もちろん美味しいお店はたくさんありましたが、
自分が働くというイメージができたのはそのお店だけでした。
フランスで見たお菓子屋さんが理想だったので、そのイメージに近かったというのが一番の理由かもしれません。

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−フランスに行っていたのは学生時代ですか?
15人限定で3ヶ月間留学に行けるというプログラムがあり、それを使って行きました。
そのプログラムがあったのでその学校に入ったんです。

 

お菓子の販売を始めた小学生

−そもそもなぜお菓子の世界を目指したんですか?
最初は小学校4年生の頃に出会った本がきっかけです。
図書室に「わかったさんの⚫︎⚫︎」というシリーズものの本が置いてあって、
最後にレシピが載っているので、自分でも作ってみようと思ったんです。
自分で作ってみて、親に食べてもらったら美味しいと言ってもらえたので
「お菓子作りって楽しい」と思い始めました。
実家が自分で牧場を経営しているんでですが、
お母さんがその中の精肉店でお菓子を売ったらどうかと言ってくれ、
毎週土曜に1個50円、12個限定で販売をさせてもらっていました。
600円は自分の手元に全て入るので、
それを使ってまたお菓子の材料を買いに行くというのが楽しかった。
完売するのも、お客さんに覚えてもらうのも嬉しかったのをよく覚えています。
毎日図書室に行って色々なレシピを自分のレシピ本にストックしていっていました。

 

−その販売はいつまでやっていたんですか?
小学校5年生でバスケを始める前までです。
そこからは忙しくなってしまい、毎週作るのはやめてしまいましたが、
誰かの誕生日とか歓迎会とかの時だけ夜通し作って持っていったりはしていました。
喜んでもらえるのが嬉しかったんでしょうね。

 

−小学生の頃から人に価値提供をするという原体験が堀田さんの今に繋がっているんですね。バスケはいつまでやっていたんですすか?
8年間、高校まではずっとやっていました。
その間も中学生頃まではずっとイベントの度にお菓子を作っていました。
レイトショーに中学生を連れていくような親だったので、
朝方4時頃までお菓子を作ってから部活に行っても特に怒られたりはしなかったです。
人生楽しいことをしようという親だったんです。

 

−高校までバスケに打ち込んで、進路を考えるときにはすぐにパティシエだと決めたんですか?
後々は実家がレストランを出店しようとしていたので、
管理栄養士の資格をとったら良いのではと親にアドバイスをもらって、
最初は4年制の大学に行く予定でした。
物凄い受験勉強もしていましたが、どこかでお菓子のことが頭から離れなくて
こういうお店にしたいとか、こういうメニューにしようとか
色んなことを妄想している自分に気がついたんです。
こんなにお菓子をやりたいのに4年制の大学に行くのは時間がもったいない、
そもそも親から言われて管理栄養士の資格を取ろうとしただけで
自分が本当にやりたいことではないと思うようになりました。
9月くらいに親に言いました。
「頑張って勉強しているんだけど、正直お菓子のことしか考えていない。だからここの専門学校に行かせてほしい。」
事前に調べていたので、福岡の中でもしっかりしていて、フランス留学ができるプログラムのあるところを親に提案しました。
10月にはもう合格してその学校に行くことが決まっていました。

 

−行動力とスピード感あるエピソードですね。勉強が苦手だったというわけではないってことですか?
むしろ勉強すること自体は楽しかったですね。
”完璧なノート”を先生と一緒に作ったりしていました

 

−“完璧なノート”って何ですか?
先生に言われた通りに過去問を解いて、間違えた箇所を訂正して、そこに自分なりの解釈を書き加えて提出するんです。
そこに先生の解釈を追加してもらって一緒に作っていくんです。
先生にもこれは凄いノートだぞと言われたりしていましたね(笑)。

 

−最初に専門学校に行くと言い出したときに親には何て言われたんですか?
特に否定はされなかったですね。
「本当にいいの?」と聞かれたくらいです。
実は高校の最初は専門に行く気満々で文系を選択していたんです。
途中で親から管理栄養士の話をしてもらってそっちに切り替えたので、
親としても突然の話というわけではなかったというのもあったと思います。

 

初めて“死”を意識した交通事故

−専門学校に入ったらやっぱり楽しかったんですか?

最初は本当にやる気満々でしたね。コンクールとかももう全部出してやろうと。
息巻いて入ったんですが、1ヶ月後くらいに交通事故に遭ってしまい脚を粉砕骨折して1ヶ月間入院をすることになってしまったんです。
出席できないのでどんどん置いていかれてしまい、留年か退学かという話も出てしまっていました。
もうお菓子の道はやめようかとも思っていたんですが、あと1日休んだらアウトという本当にギリギリで復帰することができたんです。
一人遅れているから、夏休みは毎週実技のテストを受けていました。
全部一発合格して、追いついてむしろ追い越すくらい頑張りました。
その事故で、自分が気をつけていても「あぁこういう風に死んでしまうこともあるんだ」と感じることができたのは大きかったと思います。
人はいつ死ぬかわかないし、いつまでも時間があると思っちゃいけないなと思いました。

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−専門に通っている途中にフランスに留学に行くんですよね?
はい、でも最初人数が足りなくて焦りました。笑
最小催行人数が10人だったんですが、希望者が7人しかいなくて。
結構な費用もかかるので、みんな興味はあるけどお金が…みたいな感じでした。
「これに行くためにこの学校に入ったのにヤバイ」と思いましたね。
なので色んな人に声をかけまくりました。
何とか10人集まったんですが、そのうち私のクラスが9人でした。笑

 

憧れのフランス、話せないけどこもらない

−その人を動かす力は凄いですね。向こうでは何をするんですか?
総合専門学校のパティスリー部門に入って、シェフから直接教えてもらえるんです。
フランス語は最初全然わからなかったですが、めちゃくちゃ楽しかったです。
作り方も材料すら全部が違って、焼く前からバターとかがめちゃくちゃ良い匂いがするんですよ。

 

−フランス語は勉強していったんですか?
「はじめまして、こんにちは、私の名前はまみです」しか言えなかったです。笑
本当に最初の1ヶ月はコミュニケーションが全然とれなかったですね。
ホームステイをさせてもらっていたんですが、
絶対に部屋にはこもらないようにしていました。
理解できないけどリビングに行って勉強したり、家族の会話を耳で聞いて愛想笑いしたり、
たまたまその家の子がジブリが好きだったので貸してもらって、それで覚えたりしました。
1ヶ月くらいでようやく今日学校で何をしてきたかくらいは言えるようになりましたが、
ちゃんと話せるようになるまでは2ヶ月くらいかかりました。

 

−じゃあお菓子の勉強もやっぱり全然何言ってるかわからなかったんですか?
いえ、お菓子はシェフの動きを見ているし、
もともとフランス語のまま使っている用語も多いので、そっちの方が理解は早かったです。
家でもお菓子の話になったら入れるという感じでしたね。
最後の1ヶ月は結構楽しくて、第二の家族みたいになれました。
子供たちがビズ(互いの頰を合わせるフランスの挨拶)を日本人相手にしたのは
5人来た中で私が初めてだったみたいです。
「あなたが来てくれて家族も明るくなって楽しかった」と言ってもらえたのは凄く嬉しかったですね。

 

今のベースを作ってくれた下積み時代

−最初に働いたお店はどのくらいの期間働いたんですか?
約2年間です。

 

−気にって入ってみてやっぱりここだったという感じだったんですか?
今思えばやっぱりあそこだったんだろうなと思いますが、
当時はもうちょっと周りもちゃんと見れば良かったと思っていました。
給料も聞かずに入りましたから。笑
初月の給料は13万ちょっとくらいでした。

 

−そこを辞めたきっかけは何だったんですか?
給料もそんな状態でしたが、1年目はとりあえず雇ってくれたシェフのためにと思ってやっていました。
でもなかなか後輩も入ってこず、しんどいなと思い始めていたんですが、
クリスマスの繁忙期を乗り越えるとやっぱりここでお菓子を作りたいな
という思いに立ち返ることができるんですよね。
でもまた年始からこっ酷く怒られて「ダメだ」みたいになる繰り返しでした。
私の年と同じくらいの経験があるシェフに直接教えてもらっている
感謝の気持ちで気持ちが繋がっていたんですが、
次に入ってくる予定だった方が研修途中で辞退をされてしまった後、
それが私のせいだという言い方をされてしまったことで糸が切れてしまったんです。
自分が頑張ってきた2年間は何だったんだろうと思いました。
シェフにはもちろん引き止められましたが、
もう気持ちが完全に離れてしまっていたので
最後は喧嘩別れみたいな感じになってしまいましたが、お店を後にすることになりました。

 

−その後はどうしていたんですか?
軽井沢にいた親戚の家に行かせてもらってしばらく引きこもったり
地元に帰って友達と会ったりしていました。
でもこのままじゃダメだなと思い、東京に帰って来て飲食店でアルバイトを始めました。
4ヶ月くらいは全くお菓子を作っていなかったです。

 

運命を切り開く出会い

−アルバイトを始めてからどのくらいで先ほどののカメラマンに出会うんですか?
2ヶ月くらいで始めて行ったフランスパーティーで出会います。
歌舞伎町の奥のホテルの地下のバーで「超怪しい…」みたいな感じのところでした。
目の前まで行ってあまりに怪しいから帰ろうかと思いましたが、
そこでその方に出会えたから、こういう風に繋がりを外に作りに行くのは良いかもしれないと思えたんです。

 

−なぜそのパーティに行こうと思ったんですか?
ワーキングホリデーでフランスにもう一回行きたいと思っていて、
もう半年後に行くという日程まで決まっていたので、フランス語を勉強しないとと思ったからです。
結局そのワーキングホリデーには行かずにフリーランスとして独立してしまったんですけど。
その後もそういったイベントに出向くようになって、楽しかったし交流関係は凄く広がりました。
その後に最初にお話しした交流会イベントに誘ってもらい、主催者の方に出会いました。
今までパティシエしかしていないので、こんな風に出会って仕事になることなんてあるんだと驚きました。

 

−フリーランスで生きてくというきっかけをくれたのは誰だったんですか?
そのイベントの主催者の方です。
「自分の良さを活かしていきなよ」と言ってもらったんです。
人当たりも悪くないし、友達を広げていくのも好きだし、そういう社交性がありながら
お菓子を作れるという手に職があるんだから活かしていったら良いじゃんと。
どういうことを自分がやっていきたいのかを言語化するサポートもしていただきましたね。
独立すると決めてからセミナーや講演会などにも足を運ぶようになって、
おじいちゃんもお父さんも経営者だし、自分もたぶん経営とかは好きなんだろうなと思い始めました。
それまではスキルをとにかく磨かないとと思っていましたが、
自分のお店を出すにしても経営者としての力がないといけないだろうと。
昔働いていたお店のシェフも、今思えばたぶんそこに困っていたんだと思います。
私よりもパティシエとしてのスキルを持っている人はたくさんいるので、
自分はそうではなく人を動かす力を身につけて、
スキルのある人と一緒に働いていくような、そんな生き方でも良いのかなと視点が少しずつ変わっていきました。

 

全国を回って地元の素材でお菓子を作りたい

−今後はどうしていこうと思っているんですか?

やっぱり海外に行きたいという思いもありますし、最近思っているのはキャンピングカーで全国を回るお菓子屋さんをやりたいなと。
『シェフ』という映画がありましたが、あれのお菓子版をやりたいんです。
現地の人と触れ合いながら、その土地のものを使ってお菓子を作って届けていく。
あとはやっぱり、地元に戻って自分のお店を持ちたいという思いもありますね。

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<まとめ>堀田さんの自分らしく生きるきっかけ

マドレーヌを自分でも作ってみようという行動、勉強していたけどやっぱり専門学校だという決断、自分の好きな店はここだという就職の決断。
思いついたら即行動していく突破力が堀田さんの人生を作っている大きな要素だと思います。
そしてもう一つはその周りに登場する人たち。
「販売してみたら」と言ってくれた母親、交流会で出会ったカメラマン、フリーランスへのきっかけを作ってくれたイベントの主催者の方。
23歳という若さながら、自分の生きていく、勝負していく道が見え始めているのは、
周囲の人からそこしずつ広げてもらった世界で挑戦をし続けているからこそなんだと思います。
これからの活躍が本当に楽しみになるインタビューでした。

 

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ

育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる

男の育休リアルストーリー Vol.2

自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。

取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。


その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。


今回お会いしたのは、佐藤雄佑さん。
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リクルートキャリアを卒業され、株式会社ミライフ/未来の働き方を提案する未来志向コンサルティング会社の代表取締役として活躍されています。


育休は国民の義務にすべきだと語る佐藤さん。
育休にどんな想いがあったのか、実際とってみてどうだったのか、取得の仕方や育休中の失敗談など、リアルなお話を伺ってきました。

 

佐藤さんの育休データ

・家族構成:奥さんと娘さんお一人(現在4歳)
・奥さんのお仕事:薬の研究開発(統計解析)
・取得期間:娘さんの誕生後6ヶ月の時に約半年間取得

 

20冊もの育児本のインプットから導き出した答えが育休

−育休を取られたのはいつだったんですか?
2012年の10月1日にリクルートホールディングスができて、各事業会社が分社化されました。
その中のリクルートキャリアという会社の人事制度を作るのが人事GMとしての当時の僕の仕事でした。
その10月1日に向けて約1年間かけてずっと統合の仕事をしていました。
それがようやくカットオーバーした同じ月、10月24日に娘が生まれます。
1ヶ月前だったら本当にピークだったので、立会いもできなかったかもしれないです。
そう思うと本当によくできた子ですね。笑
最初病院にいて、その後奥さんは東京にある実家に帰りました。
3週間くらいで家に戻ってきた奥さんに「育休を取ります」ということを伝えました。

それが11月の中盤で、実際に取得したのはそこから半年後の翌年4月後半から9月末までです。
子供の年で言うと6ヶ月から1歳までの約半年です。

−育休を取ろうと決めたのは何でだったんですか?
「自分の人生で後悔するとしたらこれしかない」と思ったからです。
ただ、元々育休取るって決めていたわけではないんです。
奥さんが実家に帰っている3週間で、
ファザーリングジャパン代表の安藤さんの本含め、
20冊くらい教育や育児に関する本を読み漁りました。
一気にインプットをして、自分は今後どうあるべきかを考えていました。
そこで辿り着いた結論です。
仕事はこれまでも頑張ってやってきたし、いつか独立をしようと決めていたので
これからいくらでも仕事はやるだろうなと思っていました。
第一子で生まれてすぐにそういう風に思える男性は少ないかもしれませんが、
子供と向き合うのはこのタイミングしかないんだなと
本を読んでいる中で気づけたことは大きかったですね。

−どんな本を読んだんですか?
色んなバリエーションの本を読みましたよ。
著者もなるべく変え、物凄く分厚い小難しい本から、
モンテッソーリ教育の本とか、育児の本とか。
当時は男性育休に関する本ではファザーリングジャパン安藤さんの本が一番刺刺さりましたね。

−育休を取得することをキャリアロスになるとは思ったことはないですか?
思わないですね。人事をずっとやっていたので、色んなリスクを考えましたが、
ただ半年間異動して帰ってきただけ、出向して帰ってきただけ、と同じだと思います。
自分が人事のことに詳しすぎて、ロスになる理由がわかりませんと思っていましたね。笑

男女に分かれる周囲の反応、妻は喜ばず

−育休を取得するって知った時の会社の人の反応はどんな感じだったんですか?

男の人と女の人で完全に2パターンに分かれましたね。
男の人は「何で?」って聞きます。
女の人は「いいね」って言います。
男性は理由をめちゃめちゃ聞いてきますね。
何か取らざるを得ない理由があるんじゃないかと。
奥さんの体調が悪いとか、子供が病気なのか、とか。
女性は理由を聞かないですね。奥さん良いねって言われるだけですね。

−奥さんは妊娠前、仕事をされていたんですか?
薬剤師で薬の開発や統計解析などスペシャリストとしてバリバリ働いていました。

−育休取るよって言った時、奥さんはどんな反応だったんですか?
「え、何で」でした。
もっと嬉しいとかありがとうとか言ってもらえるかなと思ってたんですが、
そんなことは全く言ってもらえず「え、何で」です。笑
そして二言目は「誰のため?」でした。
こちらがウッてなっている間に
「私のためとか子供のためとか思っているんだったら取らないで。自分のためだって思えるんだったら取っても良いんじゃない」と言われました。

−凄い詰め方ですね(笑) 僕も全く同じようなことを奥さんに言われました。
自分のためだよという話をして、じゃ良いんじゃないってなった感じです。
でも、そこから育休を実際に取得するまでの間も奥さんはずっと否定的でしたね。

−それはどうしてだと思いますか?
それまで僕は家のことを本当に何もやってなかったんですよ。
ポンコツなんですよ。
ポンコツが家に1台いられても邪魔なんですよ。イラつきますしね。
だったら、家にいないで稼いできてよというのが奥さんの本音だったと思います。

“アルバイト”として妻のスキルを完コピ

−奥さんはいつまでそう思っていたんですかね?
育休を取り始めて1ヶ月くらい経つまでじゃないですかね。
最初僕があまりに家のことができないから
「育休とった意味ないな」と奥さんに思われていたと思います。
僕も「なんでこんな毎日カリカリしてるんだろ」と思ってました。

−そこはどう変えていったんですか?
1か月くらい経った頃「アルバイト入社させてほしい」と頼んだんです。
家のことをやろうにも、やり方が全然わからないから
新人のアルバイトだと思ってイチから全部教えてほしいと。
まずはその通りに全部やってみるから教えてくださいって頼みました。
どういう風にしてほしいか要望を出してほしいと。
最初は「えー」と言っていましたが、
教えてもらった通りコピーするからできるようになりますよね。
そこからは奥さんもあんまりカリカリしなくなったと思いますね。
なので、今となっては取って良かったと思ってくれていると思いますが、
取る前や最初の頃は「この人本当に役立つんだろうか、むしろ邪魔なんじゃないか」
という不信感があったと思いますね。

−なぜアルバイト入社しようと思えたんですか?
最初のスタンスが間違っていたということに気付いたんです。
最初、育休をとったら時間が無限にあると思っていたんですよ。
勉強もしたいし、本も読みたいし、ブログも書きたいし、もちろん育児もしたいし、
家事もして、普段は会えない人と会うとか、セミナー行くとか、
それをどうやって全部やるかということばっかり考えていた1か月でした。
でも結局両立どころか何もできていないなと気づき、
しかも奥さんもカリカリしているしと。
それでもう一回「あれ何で育休取ったんだっけ」と思い返したんです。
期間限定で育休を取っているのに、これじゃあ意味ないなと思ったので、
とにかく育児家事にどっぷり浸かって、それで仮に余った時間があれば
他のことをやろうと決めました。
そこに気づくのに1か月くらいかかりましたね。

−1か月間のカリカリの理由は奥さんに聞いたりもしたんですか?
聞きましたよ。でも教えてくれないんですよ。
「なんでそんな怒ってんの」「いや別に」という感じで直接教えてくれたわけではないんです。
彼女も当時は「この人にお願いするくらいなら自分でやった方が早い」というスタンスだったと思います。

−アルバイトからっていうのは誰かにアドバイスをもらったりして考えたんですか?
いやそういうわけではないですね。
会社に置き換えて考えると若手の育成とかもしたりしますが、
家においての自分ってその次元じゃないなと思ったんです。
だって何もできないわけですから。
それってもう入ってきたばっかりのアルバイトだよなと思って、そういう表現を使ったんです。
なので、自分で思った言葉ですね。

−最初の1ヶ月を終えて家事育児を優先順位のトップに変えてから毎日どんな生活をしていたんですか?
最初はこれはこっち、これは奥さんとかって決めた方が良いかなと思っていたんです。
料理も朝昼は僕で、夜は奥さんみたいに分けようと思っていました。
で、奥さんにどうしたら楽になるか、やりやすいかをストレートに聞いたんです。
そうしたら「とにかく子供を見ていてほしい」と言われました。
ご飯は?と聞いたら「私作るの好きだからやらなくて良い」と。
それは面白かったですね、聞かないと絶対にわからないことでした。
奥さんは家事をやるのが嫌いじゃないから、家事をシェアしてやってほしいというよりは、
とにかく子供に張り付いていてくれれば心置き無く家事ができるから嬉しいと思っていたんです。
なので二人でいるときは、家事を奥さんがやり、育児の方を僕がやるという感じでしたね。
これは聞いて良かったですね。

−これはいつ聞いたんですか?
アルバイト勤務期間が終わって一通りできるようになってからなので、育休1ヶ月半〜2ヶ月くらいの時ですね。
それまでは料理も「今回は作らせてほしい」と頼んでやらせてもらったりしていました。
全部の家事育児の奥さんのこだわりまで完コピしたので、出来るっちゃ出来るんですが、
この話をしてからは、無理に仕事を取りにいくようなことはしなくなりましたね。

人事を知り尽くしていたからこその「半年」

−半年間という期間はどうやって決めたんですか?
自分が人事の責任者をやっていて、マネージャーは半期で動かすとわかっているので
中途半端に戻ってこられても置くところがないんですよ。笑
目標も半期で持つので、まるまるいなければ都合が良い。
人事想いでしょ。笑
なので、4月に新しく人事の後任もつけるけれども、
前期の査定会議や引き継ぎも全部終了した20日頃から育休に入りますと
11月に上司に言う時にプランニングを提出しました。

−実際に取得されたのは6ヶ月から1歳までの間でしたが、その月齢でとって良かったなと思いますか?
育休を取得される方で多いパターンは生まれてすぐですよね。
でもここはうちにとっては実家に帰れたし、正直荷物持ちくらいしかできない。
おっぱい含めてママにしかできないことが多いから、
家事をこちらがやり、奥さんが育児に専念するというフォーメーションですよね。
それもアリだと思いますが、里帰りという代替案がある時期なので
そこに頼れる場合は頼るのも一つの手かもしれません。
もちろん、両親のサポートが得ずらい状況であれば
生まれてすぐに取得した方が良いとは思います。
6ヶ月くらいになってから1歳までは、離乳食が始まり、動き出す時期。
どんどん人間になっていくじゃないですか。
僕が育児側を担当できたのはそういう時期だったからなんですよね。
前半にとっていたら、もっと育児でできることは少なかったんじゃないかなと思います。
こどもの成長を間近で見られたので、幸せではありましたね。
トマトを始めて食べた時の「酸っぱ!」みたいな顔を見られたりとか、本当良い思い出ですよ。
そういう「初〇〇」をたくさん見られるという意味では後半はオススメですね。

家事育児にも「守破離」を

−育休中にしんどいなと思ったのは最初の1ヶ月くらいですか?
そうですね。アルバイトからやるんだと決めてからは楽でしたね。
指示命令をもらえるので、とにかくそれに忠実にやるだけ。
ただ、途中から少し”ルール”を変えました。

−どういうことですか?
これは”言われる前に”やらなければ絶対に相手の満足を得られないなと気付いたんです。
それに気付いてからはなるべく言われる前に先回りをするように心がけたので、
お互いに良い感じになれたかなと思います。

−家事育児ができるようになって飽きることはなかったんですか?
ないですね。
とにかく「言われる前にやる」ということをいかにやり続けるかという風に
ゲームのルールを変更したからです。
「あれ、もうこれやってあんじゃん」という状態をいかに作るかに心血を注いでいまたね。

−それはちゃんと完コピした後だったからできたことですよね。僕は先に「先わまりしたい」という方に走ってしまい失敗しました。
それは人材育成をやっていたからわかっていたのかもしれません。
「守破離」だと。
だからまずはコピーできるようにして、
そこから相手の期待を超える動きをするようにするという順番を守らないと
失敗するかもしれませんね。


−アルバイトからやると決めてからは何か目標みたいなものって立てていたんですか?
この期間は家事育児だけやろう、向き合おうということだけですね。
最初の1ヶ月はなんとか時間を作り出して、外に出て人と会ったり、
勉強したり本を読んだりしたけれども、それをパッタリやめました。
そういう風に「能動的に自分の時間を作り出す」ということをやめたんです。
飲みにいこうとかもこっちからは絶対言い出さない、全て受け身にしました。
僕はリクルートの人なので「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」で
生きてきましたし、能動的に時間をやり繰りすれば絶対両立できる!
って思っちゃう人なんですけど、その考え方を修正しましたね。
この期間は家族と向き合うと決めたから、他のことは後でもいくらでもできるだろうと。

後に続く人を作りたいと書き続けたブログ

−ブログを書いていらっしゃったと仰っていましたが、何故書こうと思ったんですか?
爪痕を残すためです。前例として取っている人がほとんどいなかったので、
こういうレアケースをみなさんに配信していきたいと思った。
僕とFacebookが繋がっていたら嫌でもタイムラインに出てくるわけですよ。
それを自分でいやらしいなとも思いましたが、まぁ書くと決めて書いていたという感じですね。

−半年間ずっと書き続けたんですか?
半年間1日も「書かれていない日」はないです。
ですが、毎日書いているわけではないです。

−どういうことですか?
例えば「育休最終日」というこのブログは2013年9月30日のことを書いているんですが、
投稿日は2014年4月14日になっています。
時間がないので毎日起こったことをその日にブログにしていくわけにもいかなかったので、その日起こったことは手帳に手書きで毎日残しておいていました。
それを約半年遅れながらも復帰しても書き続けていたんです。

−そのやり続ける力は凄いですね。書けずに溜まっていくストレスみたいなものはなかったんですか?
みんなは今日の僕のことが今日知りたいわけではなく、
育休中ってどんな感じなのかその日常が知りたいんだろうなと思っていました。
なので、今日書くというタイムリー性よりも1日も欠かさないということの方を
重要視して続けていました。
みなさん失敗すると笑ってもくれ、「いいね」もくれ、
コミュニケーションとしても楽しかったんです。
後輩の長尾君はじめ、すでにリクルートキャリアでも多くの男性が育休を取ってくれたのは
こういう啓蒙活動をずっとしていたことが繋がった結果なのかなと思います。
やっぱり書いててよかったですよ。

あとこれは余談ですが、男性育児とか働き方改革という文脈で講演などさせていただくこともありますが、
初めから狙っていたわけではないですが、いつか独立するということは決めていたので、
このレアケースを残して置くということが一種のアピールになるかもしれない
という気持ちも少しはありましたね。
もしかしたら本書けるんじゃないかとかね。笑

−いつ書いていたんですか?
朝か、夜か、ですね。
朝もこどもや奥さんが起きてきたら止める。
夜も二人が寝てから書く。
僕は隣で子供がギャンギャン泣いていても全く起きなかったので…
夜中に起きてケアすることは全く期待してないと言われていました。笑
その代わり、日中奥さんには昼寝して良いよと言っていて
その方がありがたいとも言われていました。

1日に書くのは1話ということも決めましたね。
最初は早く追いつきたいから1日に何件も書こうとか思ってやっていましたが、
そんなことしてこれは面白いんだろうかと思ってしまってやめました。
1日1話で、その代わりいくら遅れていっても構わないというルールを自分の中で決めてやっていました。

−復帰しても半年も書き続けるってかなり大変だと思うんですが、どうして続けられたんですか?
もちろん自分で書くと決めたからということもありますが、
面白いと言って待っててくれる人もいたし、反響があったから続けられたと思いますね。
会社の人だけじゃなくて結構遠くにいる人方もコメントをもらったりしていたので、
ありがたかったです。
印象に残った日だけ書くという人もいると思いますが、
「今日こどもとディズニーランドに行ってきました」とかだけ書いていると
格好つけちゃうと思うんですよ。
今日ゲロ吐いて逆噴射でこぼしまくったとか、
うんちのついた服を必死で洗っている自分とか、
そういう日常が面白いんじゃないかということに書いていて気づきましたね。

−今は男性育児のことで講演をされることも多いと思いますが、男性育休はみんな取った方が良いと思われますか?
男性育休は国民の義務にすべきだと思いますね。
色んな観点から見てそうだと思います。
日本が強くなる、採用難、ビジネスでもっと成果を出す、全てにおいて
女性にもっと活躍してもらいたいということは明らかなわけですよ。
本当に女性が活躍するようにするためには、男性が家に帰るしかないんです。
だから義務になってくれたら、女性社員がもっと活躍できるのにと思いますね。
男性にとってもその方が人生が豊かになると思いますしね。
幸福度という観点でも、家族に向き合うと日本人がもっと増えてほしいです。




佐藤さんの存在があったからこそ、前回インタビューさせていただいた長尾さんも
育休を取る決断ができたんだと思います。
現在はNPO法人ファザーリングジャパンでも活躍され、
現在まで続くリクルートキャリアの男性育休文化を切り拓いた佐藤さん。
「育休を取らない理由がない」と力強く言い切っていました。

佐藤さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

次回は同じリクルート系列でも別会社のパパさんにお話を伺ってきますよ!

「高校生の時からファイナンシャルプランナーになりたいと思っていました」

#起業 #ファイナンシャルプランナー #お金

 

自分らしく今を生きるvol.8 ファイナンシャルプランナー町田萌

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

今回お会いしたのは、町田萌さん。
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お金のよろず相談「ファイナンシャルプランナー」

−今やっているのはどんなお仕事なんですか?
ファイナンシャルプランナー(以下FP)というお仕事をしています。
個人のライフプランを作るお手伝いをし、将来のお金の不安を取り除くのが仕事です。
その過程で、保健の見直しや住宅ローンの組み方なども合わせて解決します。
税金や法関係など、必要な専門家にお繋ぎするお金の総合窓口みたいな位置付けになります。

 

−このFPサテライトという会社をご主人と一緒にやっているんですか?
正確には今は個人事業主です。来年には法人化したいなと思っています。

 

−いつからやられているんですか?
去年の11月から始めました。

 

−FPの組織などもある中で、なぜ個人でやっていくことにしたんですか?
組織に属してしまうと、フラットに資金相談に乗ることができないからです。
実際にはほとんどのFPが保険を売るということを仕事にしているので、
逆にいうとその保険が売れないと仕事にならないんです。
なので独立してやっていこうと決めました。

 

−ならほど。独立する11月までは何をされていたんですか?
10月までは前職を辞めて、失業保険をもらいながら、宅建の試験の勉強をしていました。
その前は1年間ほど税理士法人に勤めていました。

 

−税理士法人に勤めようと思ったのは何でですか?
もとから独立するつもりで動いていたので、経営のことを学びたいという気持ちが一つ、
もう一つは税金のことが学べるからです。
正社員という働き方を経験しておきたいという目的もありました。

 

高校生の時から決めていた

−いつからFPやりたいと決めていたんですか?
高校三年時です。

 

−早いですね!何でですか?
部活の活発な学校だったんですが、私は吹奏楽をずっとやっていました。
ですが、部活がきつすぎて一時期鬱になりかけた時期があったんです。
それまでは音楽で生きていけたら良いなと漠然と思っていたんですが、
私には無理だろうとそこで思ってしまったんです。
どうしようかと悩んでいたんですが、
通っていたのが商業科で、簿記の勉強は好きだったんです。
それを生かせる仕事って何だろうと思って色々と調べていく中で
辿り着いたのがFPでした。
面白そうな仕事だなと思って「よし、私はこれになろう」と決めたんです。

 

−FPの資格を取ったのはいつなんですか?
大学二年の頃までに3級も2級も取りました。

 

−組織で働くことと個人で今のように働くのは出来ることがどう違うんですか?
お金に関する相談ってほんとに多岐に渡るんです。
ライフプラン相談もあれば、住宅購入、保険の見直し、
相続、キャリアチェンジ、節税などなど。
保険会社に勤めたら保険を売るのが仕事になるし、
不動産なら不動産を売るのが仕事になりますよね。
そういった出口ありきの相談ではなく、
その人の状況に合わせて提案をしていきたいんです。
アメリカだと大手のFP組織というものがあって、
同じようなことが会社勤めでも出来るんですが、日本は遅れているんです。

 

−この仕事の何に惹かれたんですか?
お金のことを幅広く学べるということです。
ライフプランニング、税金、保険、不動産、相続、金融商品など。
これをちゃんと学べば、自分はもちろん必ず誰かの役に立てるだろうという想いがありました。

 

−ライフプランニングの結果、様々な業種の方を紹介すると思うんですが、そういう紹介先の繋がりはどうやって増やしていくんですか?
多いのは紹介ですね。あとは交流会に参加して出会ったりなどですね。

 

−会社員をやっていれば定期的にお金が入ってくる中、一人でやっていく決断をする時には不安はなかったんですか
どうにでもなるだろうと思っていましたね。稼げなくなったらバイトでも何でもすれば良いと。

 

−他にも可能性があるかもとはあまり思わず、高校生の時からずっとFPで生きていこうと貫けているのは何でなんですか?
鬱になりかけた時に、自分には何もできない、自分は何も向いていないと思っていたので、
一度興味を持てたFPに関しては、とにかく「向いている人にこれからなっていけば良いじゃん」という思いでやってきましたね。

 

−その鬱になりかけたというのは何歳くらいだったんですか?
17歳くらいの時ですね。部活が厳しい学校で吹奏楽部に入っていましたが、
先生にも先輩にも怒られ、本当に自分は何もできないと思っていました。
中学で全国大会クラスの子がゴロゴロいる部活だったんですが、
私は全然無名のところからここで頑張ろうと思って入っていたので
スタート地点が全然違ったんです。

 

−何も向いてないと思うところから、普通は向いていないからやめておこうと逃げると思うんですが、どうしてFPになろうと向かっていくことができたんですか?
そんなに頑張らなくて良いかもなと思えたことが大きかったですね。

 

お金について学べる学校を作りたい

−今後のビジョンは何かあるんですか?
FPという仕事の認知度をもっと上げたいと思っています。
東京ではそこそこ認知されてますが、地方に行くとまず知らない方ばかりです。
保険は保険は販売のおばちゃんから買う、みたいなスタイルが未だに地方では主流だったりします。
自分たちの事業が少し落ち着いてきたら、金融リテラシーを高めるための学校みたいなところを作りたいと思っています。

 

−FPとしてどんな人の力になりたいと思っているんですか?
現在のFPは割と年収の高い層をターゲットに仕事をされている方が多いので、
もっと多くの人の力になりたいなと思います。
もちろんそういう方の方がこちらのビジネスとして安定はしますが、
平均年収くらいの家庭でも、FPの力を使ってお手伝いできることはたくさんあるので。

 


「保険を売ってしまうと、加盟店の手数料キャンペーンがあったり、その人に必要ないと思っても保険を売らないと仕事にならなかったりするので、
私たちはそこには手を出さずに中立的な立場でアドバイスができるよう頑張っています。」
と語る町田さん。
フラットに提案をしてくれるのはユーザーにとって本当にありがたいサービスです。
今の事業を成功させて、学校事業や地方移住のサポートなどへ展開していく画を描いているそうです。
なかなか自分のやりたいことを絞り込めない人が多い中、
高校生の頃からなると決めた仕事をしている人は少ないですよね。
意志を持って人生を選択している人の強さを感じるインタビューでした。

 

FPサテライトHP

FPサテライト

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ

3ヶ月の育休取得をきっかけに働き方改革!育休の年に全社表彰を受賞

男の育休リアルストーリー Vol.1

 自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。

取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。
その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。

今回お会いしたのは、長尾悠さん
f:id:yutanp:20170807074332j:image
リクルートキャリアでHRソリューションプランナーを務められています。
育休にどんな想いがあったのか、実際とってみてどうだったのか、
失敗談や取得後の働き方など、リアルなお話を伺ってきました。

 


長尾さんの育休データ

・家族構成:奥さんと息子さんお二人(現在6歳、3歳)
・奥さんのお仕事:同社の営業職
・取得期間:第二子誕生後11ヶ月の時に3ヶ月間取得

 

なぜ育休を取ったのか

−なぜ第一子の時には考えなかった育休を第二子で取ろうと思ったんですか?

一人目の時は、無茶苦茶仕事が苦しかったんです。

上手く成果も出ないし、働いている時間も長くて家族とも会えない。
育休なんて考える余裕がなかったんだと思います。
こんな風に働いていても意味ないなと思い「もう転職しよう」と
転職活動もしたりしていました。
活動してみた結果、なかなか条件が折り合わずに転職することは断念しましたが
その後も「本当は家族ともっといたいのに」「仕事も相変わらず大変だし成果が出ない」
という思いが燻っていたんです。
その時に上司が凄く面倒を見てくださっていて、何度も何度も話をしてくれました。
一緒に時間をかけて整理しったんです。
何度も時間をかけて話していく中で、
”お前は家族が一番大事なんだろ。仕事よりそっちの方が大事なんだよな。
それはわかる。
一方でその家族と幸せに暮らしていくにはちゃんと稼がないといけないよな。
転職をしようと思っても、今と同等以上の対価で一緒にやりたいと思ってもらえる人になっていないと、家族を幸せにできないんじゃない?”
と言われたんです。

「なるほどな」と思いました。

”だったら、自分がビジネススキルを上げて成果を出せるようになることで
必然的に早く帰れるようにもなるじゃん” と。

−リクルートっぽい優秀なマネージャーさんですね。

そうですね、それで結構自分は納得ができたんです。
それが一人目と二人目の間にあった出来事でした。
それから仕事もだんだん上手く回るようになってきていたので、
二人目が生まれる時には何となくそういうの(育休取得)もありかなと思えるようになっていましたね。
二人目が生まれてすぐくらいに育休を取ろうと決めました。


−二人目のお子さんが生まれたのって2013年の年末って言ってましたよね。その時って世の中的に「男性が育休を取る」ことに対してどんな雰囲気だったんですか?

全然周りにもいなかったですね。
後から聞いたんですが、僕がとった時には、直近3年間でリクルート全体の5人しか取得し
た人がいないくらいでした。
リクルートキャリアという会社で見ると、僕の前にお一人取得されている方がいましたが、
その前は17年前に男性の育休取得者がいるのみ、でした。

 

後押ししてくれた先輩の存在

−え、むしろその17年前の方先進的すぎますね。笑

えぇ、育休男性の間ではレジェンドと呼ばれています笑
僕が取得した後は、何人か取得する人が出てきましたね。

 

−育休を取ろうと思った一番の理由はなんだったんですか?

一番の理由は”今しか出来ないから”ですね。
子供の1歳の誕生日までしかとれないですし、
管理職じゃないから取りやすいよなとか、そんなことを考えていましたね。
限定物が好きなんですよ。笑
決定打はさっきの育休取得の先輩から言われたことですかね。
「育休は数ヶ月でしょ。働いたり、家族と一緒に過ごすのは30年とか40年とかあるんだよ。そんなのに比べたら、ここ仕事してようが休んでようがどうでも良いでしょ。」
と。そして、
「育休を取ったら、その時の経験が向こう何十年とずっと活きてくるんだから、そんなの取る方が良いに決まってんじゃん。」
と。
確かになと思いましたよ。


−なるほど。やっぱり先人がいた方が間違いなく取りやすいですよね。

そうですね。相談を受けたりすることも多いです。
そうすると、僕と前に取得された方ともう一人のリクルートでの取得者と
「3人の経験者と一緒に飲もう」という企画をよく立てます。

−長尾さんも取得前に相談したりしたんですか?

はい、僕の場合はいよいよ来月から育休に入りますというタイミングで、
まさにその3人で飲んだんです。
で、その時に「育休中にこんなことやろうと思ってるんすよー!」
みたいに無邪気に話していたら
「いや、それマジ誰も喜ばないからやめた方が良いよ」って言われました。笑

−そういうリアルな場は凄い大事ですよね。何をしようと思ってたんですか?笑

考え抜いた末に思いついたのが「家族みんなでキャンピングカーで旅行だ」という計画だったんです。笑
無茶苦茶調べて「4人で乗ってアテもなく回ろうと思います!」ってテンション上がって話したら、
「そんなん絶対奥さん嫌がるよ。子供も小さいのに衛生面気になるでしょ。
そもそもそのくらいの子供は車乗っててもつまんねーから。」とバッサリ。笑

 

意外だった周囲の反応

−育休を取るって決めた時、奥さんには最初何て言われたんですか?
まず疑われました。
「どうせ取らないでしょ」と。
「ポジショントークでしょう」と。笑
それまでも「今日は早く帰れそう」って言って結局遅いみたいなことを
繰り返していたので、信頼残高がゼロだったんですよね。
だから結局取れないんでしょと思われていました。
「もう部長にも言っていて、後釜も用意してもらっているから大丈夫だよ」
とかっていう話を少しずつしていく中で、「あ、本当に取るんだ」と思ってもらえた感じですね。

 

−社内での声はどうだったんですか?

これが意外だったんですが、ネガティブなことは一回も言われたことがないですね。
ビックリしました。
相談に乗ってくれた上司は既に異動してしまっていましたが、
同時のマネージャーも部長もお子さんがいらっしゃる方だったので、
話をした時には上司としてというよりも子供の親として
「どんな感じだったか教えてよ。俺はもう取れないから羨ましいわ」って言われました。

 

なぜ3ヶ月だったのか

−どのくらいの期間取得したんでしたっけ?

11月~1月まで3ヶ月です。
2013年の冬に言いだして、本当は翌年の夏頃に取りたかったんですが、
その前の4月で部長が変わったんです。
てっきり育休の話も引き継がれてアサインも考えていただけるのかと思っていたら、
これが全然初耳みたいな感じだったんです。笑
当時は大手チームにいたので、担当クライアントが少なく、
1社1社と太い繋がりを構築して仕事を進めていくという仕事を任されていました。
担当を他に変えるということが出来ず、10月の人事で調整をしていただき、
夏ではなく冬に取得することになったんです。

−何で3ヶ月だったんですか?

仕事にとっても家庭にとっても一番ちょうど良いかなと思ったんです。
目標を四半期で持って、大きな計目を半期で持つという動き方をするので、
それを踏まえると3ヶ月まるまるいない方が都合が良いんじゃないかと。
先輩は半年近くとっていましたが、さすがにそれは長いかなと思っていたので3ヶ月にしました。

−11月スタートにも意味があるんですか?

10月の方が区切りが良いんですが、それだと新担当に全然引き継ぎができないんです。
1ヶ月にかけて徐々に引き継ぐ方が良いと思ったので、
10月いっぱいは目標を持たず、ひたすら引き継ぎをするという時間にしました。
この期間を設けたお陰で休みはじっくり休めたので、これは良かったかなと思います。
ただ、2月から戻るんですが、先ほど話したように途中からだとお客さんを持たないので、
2~3月は暇でしたね。笑

−戻った時はどんな感じだったんですか?

初日とかは超気恥ずかしかったですね。
「恥ずかしながら帰ってきました」みたいな。
みんな声をかけてくれて、育休中の話もしたいんですけど
「いやこっちも仕事あるんで(笑)」みたいな変な感じになってましたね。
戻った時は「取り返さなきゃ」みたいな気負いが最初は凄いあったので、
1週間くらいはバランスをとりずらかった気がしますね。

 

育休前の働き方改革

−育休前は奥さんとどう過ごすかとか話していたんですか?

一緒に「整える」というコンセプトを決めました。
何か特別な体験をするとかっていうことではなく、
今共働きをしていておざなりになってることって結構あるよねと。
部屋を片付けるとか、そういう日常のクオリティを上げようという話をしていました。

−育休前の働き方はどんな感じだったんですか?

仕事の方は、育休を取るって決めるまでは大した営業じゃなかったんです。
だけど、育休取るって決めちゃったから何か一個くらい爪痕を残してかないと格好つかないんじゃないかと思って、そこから結構頑張りましたね。

−仕事を頑張ろうと思うと、ともするとこれまで以上に仕事に時間をかけてしまいがちなんじゃないかと思うのですが、そこはどう考えて実際どう動いていったんですか?

あと半年で成果を出さなければいけないという“お尻”が決まったので、初めて生産性ということを考え始めました。
それまでは全く考えたことがなかったんです。死ぬまでとりあえずやりまくろうみたいな。笑
「半年で成果が出るようなものだけ」にフォーカスしてやろうと決めました。
日常の売り上げを上げるため以外に、何か部内に成果が出るものをやろうと初めて思いましたね。
復帰後にその時に手掛けていた仕事でTOPGUNという全社営業が対象のアワードをいただくことができたのも、
期限が決まっていなかったらやっていなかったと思います。

−奥さんってどんな方なんですか?

元々リクルートエージェントにプロパーで入っていて、独身時代はバリバリ働いていた人でした。
子供ができてからは時短で働いています。
一人目の時はもちろん慣れないので大変ですが、今思えば子育ての負荷も少なかったので、自分のペースを掴んで働いていたなっていう感じがします。

 

育休中の過ごし方

−3ヶ月間はどんな風に過ごしたんですか?

11月当初は、習得するために家事を極力全部自分一人でやりたいと思っていたので、
妻に一から教えてもらっていました。
それまでは「風呂掃除たまにする、以上!」みたいな感じだったので(笑)、
ほんとに一から教えてもらいました。
飯を作るのだけはどうしても向いていなかったので、奥さんにやってもらっていましたね。
子供を朝送っていって、掃除、洗濯、洗い物などをやって、14時半くらいに子どもを迎えに行き、公園で遊ばせて帰ってきたら
お風呂に入れて着替えさせ、ご飯は作ってくれるので僕が食べさせ、テレビを一緒に見て絵本読んで寝かしつけする。
最初の1週間くらいはそんな一連の流れをやっていましたね。

それを続けていこうと思っいたら、
次男が熱を出して肺炎で入院するという事件が起きました。
そこは、親が宿泊ができない病院だったので、
朝病院に行って、夕方まで看病をして帰って、また翌朝病院へ行く、というように
誰かがずっとついていなければいけないという状況でした。
「これ、育休じゃなかったら本当に終わってたな」と思いましたよ。
そんなことをしながら、毎日にちょっと慣れてきて11月は終わりです。

12月は旅行に行きたいと思っていたので、ハワイに10日間くらい行きました。
キッチン付きのコンドミニアムに泊まって、予定を詰め過ぎずのんびりと過ごしました。

1月はいよいよ最終月なので、最後の思い出作りと思って小さな旅行に行ったり、
実はあまり手をつけられていなかった「整える」ことをしたり。
このくらいの頃になるとだいぶ家事もできるようになっているので、
気持ちのゆとりが一番あったと思いますね。


−はじめ11月に家事育児をやり始めた時ってどんな風に思いましたか?

忙しいなー!って思いましたね。笑
特に送っていく朝とかは、分刻みのスケジュールだし、
意外と送って家に帰ってきてからも暇じゃないことに驚きました。
育休中にブログを書いていましたが、最初の頃はそんなことを書いていますね。
あとは、自分が好きな家事と嫌いな家事があるということに気がつきました。
選択や洗い物は好きなんですよ。達成が見えるから。
でも掃除が嫌いで。
してすぐにまた汚れていくので、何のためにやってんだろうってなっちゃうんです。笑
細かい家電への不満とも出てきたりしましたね。
「俺だったら絶対こんな設計しない」とか言ってましたね。

−やってみて初めて気づくことも多いですよね。ブログはずっと書いていたんですか?

実際は、毎日は書けなかったんですよね。
そもそも書く余裕があまりなかったのと、
最初の頃凄い頑張って書いていたら奥さんに怒られたんですよ。笑
「いや何のために育休とったんだ、家族と過ごすんじゃないの?」と。
すみませんと言ってそこからはちょっと控えましたね。笑

−これはあるあるネタですね。僕も完全に同じでした。

ブログで言うと、僕はアメブロで書いてFacebookで更新しましたってシェアしていたんですが、
僕の投稿にたまたま奥さんが「いいね」をした時があって、
それを保育園のママ友たちが見て「長尾さんのとこの旦那がブログ書いてるらしいよ」という噂になり、
密かに見られているみたいな感じになっていたのを後から知りました。

毎日保育園にお迎えに行って、近くの公園で1時間くらい遊ばせていたんですが、
毎日行っていると他の子のお父さんよりは近い間柄になっていて、
男が僕しかいないので「鬼ごっこやろう」とかめちゃ誘われるんですよね。
ママ友の間では「長尾さんがいると便利よね(笑)」みたいな感じで、付かず離れずの関係でしたね。

−育児にコミットする方は地域の活動に入っていく方が多いですよね。

それまで知らなかったことでも、自分がやるべきことがあると一度知ってしまうと
「何とかしたい」っていう謎の正義感がみんな芽生えるんじゃないですかね。笑

−育休中にしんどかったことってありますか?

やっぱり3ヶ月間ずっと一緒にいるので、奥さんとはギクシャクというか変な空気感になることはありましたね。
その度に話し合って、結局は前よりも理解しあえたり、解決法を決めたりできたのは良かったです。
僕は一人っ子だったこともあり、一人の時間が大事な方なので、はじめはそこがしんどかったりもしました。

−それはどう解決されたんですか?

バランスが取れてきた1月くらいは「一人でサウナ行ってきても良いかな」とか、
奥さんも「一人で買い物に行ってくる」とかそういうことが上手くできるようになりましたね。
それは今でも続いていますね。
僕はゴルフもやらないので、もともと土日は家族とずっと過ごすことが多かったんですが、
育休の後はお互いの一人時間も大事にしようという尊重のスタンスになれたと思います。

 

夫婦それぞれを尊重できるような関係に

−家族ファーストで取った育休とはいえ、自分のやりたいことに時間を使えない葛藤みたいなものも感じていましたか?

あんまりなかったですね。
結婚して子供が生まれた時で「人生の第1章終わり」っていう感覚になったんです。
それまでは主人公が自分だったんですが、そこからはもう家族にスイッチが変わっていたんですよね。

−それは意外とみんなできない切り替えですよね。

僕は育った家が放任主義だったので、かなり好き勝手に生きてきたんです。
学生時代はぶっといピアスして、バンドやって、受験もなくて、
やりたいことやり切ったからもういいかなと思ってました。
今でも、平日は結構自由に飲みに行ったりさせてもらっています。
ただ、木曜だけは僕がお迎えに行くと決めているので、
16時半に会社を出て、お迎え行ってご飯食べて寝かしつけまでやります。
なので、その日は奥さんが遅くまで働くも、飲みに行くも自由に時間を使っています。

−その木曜システムはどうやって辿り着いたんですか?

育休明けてからすぐに元に戻ってしまうのは勿体無いので、
最初は毎日何があってもこの時間には帰ろうと決めてやり出したんです。
ですが、全く上手く回らず。笑
で、見直そうとした時にちょうど始まっていたリモートワークのシステムを
導入させてもらって、木曜はそれをやるようにしたんです。
その後担当業務が変わって、打ち合わせに出ないといけなくなったので
リモートワークではなく、木曜は時短勤務というかたちで継続することになったんです。
スケジューラにも登録してますし、周りも「今日お迎えでしたよね」って言ってくれています。
毎回バチっと16時半に仕事が終わるわけでもないので、
子供をがTV見ている間に1時間くらい仕事したりもしています。
早帰りした後はもう絶対仕事ができない、と思うよりも精神的にも楽ですね。





「最近の朝は、風呂掃除、子供のご飯のプッシュ、歯磨き、洗い物、前日の乾燥が終わった洗濯物を畳む、学校の準備、車で子供を送っていくっていうのが毎朝のルーティン。
それぞれは出来るようになっているので、前だったら要求されないレベルまで上がっているのが辛いところですけどね。」
と笑いながら語る長尾さんは、
育休をきっかけに自分なりのワークライフバランスを見つけていて
とても楽しそうに生きていらっしゃる方でした。

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長尾さんが取得して以来、リクルートキャリアでは育休取得者が徐々に増えているそう。
現在も半年間の育休を取っている方がいらっしゃるんだとか。
一年先に取得した先輩とともに、先駆者として切り開いた道の価値はとても大きいと思います。
長尾さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

次回は、長尾さんが育休取得を決めたきっかけにもなった先輩で、
現在はリクルートを卒業され、株式会社ミライフを経営されている佐藤雄佑さん

インタビューをご紹介します。

花屋の配送から始まったキャリア、CFOとして上場を経験し再度花の道へ!

#インタビュー #キャリア #フラワーアーティスト #花

 

自分らしく今を生きるvol.7 フラワーアーティストChikara

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

今回お会いしたのは、Chikaraさん。
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 商品としてのお花を売るという考え方ではなく、
「お花のある暮らし」を提供したいという想いで
ECサイト”hanane”を運営されるChikaraさん。

もともとお花が好きだったわけでは全くない…!
お花の配送ドライバーからベンチャーの上場担当CFOに…!
異色のキャリアをお持ちのChikaraさんにお話を聞いてきました。

 

hananeサイト:hanane
chikaraのブログ:hananeのフラワーアーティストchikaraのブログです。 

『ネイル×花×コーヒー』のイベント案内
日時:9/5(火)19:00~21:00(仮)
場所:ブルーボトルコーヒー六本木店(仮)
*詳細決定次第hananeのSiteでご案内いたします。

 

 

「花のある暮らし」を広めたい

-今どんなことをされているんですか?
お花のある場所、生活を送られる方を増やしたいという想いで
”hanane”というWebサービスを2017年4月末にリリースしました。
僕はお花そのものを売りたいわけではなく、
お花を使って、相手の方や、自分自身に「気持ち」を贈るお手伝いをしたいと考えています。

同じ想いを持ってくださるフラワーアーティストの方に入っていただき、
一人ひとりのお客様に対して花のコンシェルジュとなり
orderに応じて丁寧にお花をお作りすることで、その方の生活を豊かにしたい
そんな想いを持ってやっています。

-普通のお花屋さんとはどう違うんですか?
モノではなくて、「贈る」や「飾る」といったその行為にスポットライトを当てているので、
例えば、注文時に、好きな色は聞きません。あとは、好きなお花も聞きません(笑)
その代わりに、贈る相手の方がどんな方なのか、どんな気持ちで贈るのか、
どんな気持ちにさせたいのか。という部分をヒアリングします。
ご注文ファームに情報を入れて頂いている時間が
「贈る相手の方の事を一番考えている時間にしてほしい」と思っているんです。

登録会員の方のオーダーにお応えしてお花をお作りするのがメインですが、
実はインターネットだけではなくて、全く別のジャンルとの掛け合わせで
リアルでイベントを実施することでお花に触れるきっかけを
提供していきたいと思っています。
また、これは現在準備中ですが、
協賛企業様とのコラボレーション事業を今後やっていく予定です。
普段はお花とは縁遠い暮らしをされている方にも、
お花に触れる、お花のある生活を送るきっかけをどんどん提供していきたいと思っています。

自分でお花を買って家に帰って生けるような暮らしをする人を増やしたいと思っていますが、
いきなりそれはハードルが高いので、今は誰かにお花を送るという体験のお手伝いをWebサービスとしてはメインにしています。
例えば、会員になっていただくと色々な記念日の前に
「お花を送りませんか」というメッセージが届き、
過去に利用履歴があれば「前回はこうだったから今回はこうしては」というような
ご提案をすることもできます。
将来的には、個別のフラワーアーティストを専属として美容師のように
自分のこと、自分の家のことをわかってくれている関係が築けるような、
そんなサービスにしていきたいです。

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-それは嬉しいですね、男性は花屋に行ってもオーダーの仕方がわからず戸惑う人がたくさんいますからね。なぜそんな想いを持つようになったんですか?
お花の業界というのは、花という物を売ろうと思っていると
どんどんニーズがなくなっていくだけだろうと思っています。
たとえば、おいしくてかわいくてプレゼントに最適なお菓子とかもたくさんありますよね?
モノとして見たら、食べれるものにはかなわないかもしれない。
ボクが食いしん坊なだけかもしれませんが(笑)。

そうではなく「お花をあげる」とか「お花をもらう」という行為が生活を豊かにするし、
その価値は今後きちんと伝えていけば必ず伝わると思っているんです。
それがお花のチカラ、お花の良さ、強さだと思うんですよね。

-お花って結構高いじゃないですか。お花にこだわった生活をしているっていうと何となくセレブな暮らしをイメージしてしまうんですが、仰っているのはそういう方がターゲットではないんですよね?
まさにそういう方にどんどん買っていってもらおうというのが、これまでのお花の業界だったんです。
そうではなくて、何かのきっかけがあれば1000〜2000円くらいのお花を買おうかなと思う人は増やせると思っているんです。
そこにお金をかけても良いかなと思ってもらえる人を増やしたいんです。
なので、最初はイベントや企業タイアップを通して
まずはお花に触れる機会を作っていきたいと思っています。

 

高校卒業、たまたま出会った配送ドライバーの仕事から花の世界にハマる

-そもそも、なぜお花の世界に入ろうと思ったんですか?
高校を卒業して1ヶ月くらいブラブラと遊んでいたんです。
でも、すぐにお金がなくなるじゃないですか。
お金がないと遊べないから、何かお金を稼がないといけないと思った時に、
自分には車の運転が好きという以外に何もなかったんですね。
それで、横浜駅の近くを歩いているときにたまたま見かけた
「花屋の配送ドライバー募集」の看板を見つけて、これならできると思って扉を叩いたんです。

-え、じゃあ何でも良かったということですか?
ええ、それが家具の会社なら今頃インテリアデザイナーになっているかもしれないですし(笑)、本当にたまたまなんです。

-入ってからずっと配送をやっていたんですか?
最初の11ヶ月はほんとに配達だけです。
横浜の事務所に出勤して、依頼されたものを乗せて市内に届けていく。
市場にお花を取りに行くというのを合間にやったり。

-飽きないんですか(笑)?
これが全然飽きなくて、凄い楽しかったんですよ(笑)。
ですが、そのお店の育成プランとしては、
この配達というのは花をやりたい人の下積み的な位置づけなんです。
僕はそこだけがやりたいという珍しい人種だったと思います(笑)。
なので、その次のキャリアステップとして実際に花を自分で扱っていくことになります。
その頃には、自分でも作ってみればと先輩に教えてもらったりもしていたので、
お花に触るのも楽しくなってきていた頃でした。
花言葉を覚えたり、説明したり、いわゆる普通にお店で接客をしていました。
実際にやってみると、とにかく作ることが楽しかったんですよね。

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バッグ一つで受け入れ先も決めずにドイツへ留学

-どのくらいそのお店で働かれていたんですか?
6年くらい働きました。
その後、このままずっとここで接客をし続けるのはつまらないかもと思うようになり、
どうしてもドイツに行きたくなったことがきっかけで、そこを辞めることになります。

-何でいきなりドイツなんですか?
その花屋にいた6年間のうち、4年間はドイツから帰国した方がやっている
お花のスクールに通っていたんです。
そこでのお花はいわゆるお花やさんの作り方にこだわらない
デザインでお花を作ることができて、すごく楽しかったんです。
その間にもコンテストで賞をいただいたりしたこともありましたが、
やっぱり行かないとと思い立ち、ドイツに行くことにしました。

-じゃあ、その先生に紹介してもらって留学みたいな感じだったんですか?
いや、特にその先生にお世話になることもなく・・・
なので、特に受け入れ先も決めずに、バッグ一つで乗り込みました。
今考えるとそれが良かったのかもしれませんが。

-すごい(笑)。アテもなく行って何をしていたんですか?
ほんとにアテがなかったので、とにかく街で花屋に行って
タダで良いから働かせてくれとお願いをするんですが、
いやタダにしてもドイツ語がそんなに喋れないんじゃ
どうしようもないと言われてしまいます。
まぁ当然ですよね、どう考えても邪魔なだけですから(笑)。
なので、まずは語学を学ぼうと決めて語学学校に入ります。
そこは色んな国から生徒が来ていて、医学を学びに来た優秀なやつもいれば、
僕みたいのもいる、そんなところでした。
授業よりも、毎週木曜に開催される飲み会が一番の学びの場でした。
色んな国の人がいて、語学だけでなくとても社会勉強になりました。

-その後もう一回花屋さんに行くんですよね?
たしか手紙を書いて持っていったと思います。
接客なんてさせてもらえないから、
裏方としてディスプレイ用の骨組みを作ったり、そんなことをしていましたね。
滞在期間が限られているからと言ってどんどん次のお店を紹介してもらって、
2ヶ月スパンくらいで4〜5箇所のお店を移動しました。
その活動をする中で、ドイツのお花の業界でとても有名な方のお店にたどり着き、
その方が凄く顔が広い方で色々な方を紹介してもらいました。

 

帰国のきっかけはある社長との出会い

-ドイツには全部でどのくらいの期間いらっしゃったんですか?
1年数ヶ月です。最後はただのヨーロッパ旅行をしていました(笑)。
ある時、銀座で化粧品のお店をOPENするという日本人に出会い、
その方に今こんなことをしていると話をしたら、
一緒に戻ってお店の内装を手伝ってくれないかとオファーをもらったんです。
帰るきっかけがなかったので、良い機会かなと思ってそのお話を受けることにしました。
その店内の1箇所に僕の作品を置く場所を作ってくれ、
お客様に対してお花のレッスンをやったりしていました。
その繋がりで、丸の内OLさん向けのレッスンをやったり、
設備メーカーのショールームでイベントをやったり色々していましたね。

 

フラワーアーティストからベンチャーのCFOへ、猛勉強の日々

-その後一度お花の世界を離れるんですよね?それはどうしてですか?
そういった活動をしていくうちに、花のことしかできない自分はマズイんじゃないかと危機感を抱き始めたんです。
単発でこのまま仕事をもらい続けても、
やれることが一向にスケールしないと感じ始めていました。

-その段階でそのことに気づけたのはどうしてなんですか?
単純にしんどかったんです。
やってもやっても儲からないという状態で、
このままじゃマズイと感じざるを得ない状況でした。
今思うともしかしたらちゃんとブランディングをしていけば道はあったのかもしれません。
でも、そのときの自分には思いつかなかった。

-それでどうしたんですか?
実は、花屋を辞めてドイツに行くまでに
お金を貯めるために人材派遣会社で働いていたんです。
その会社も銀座にあったので、先ほどの化粧品の会社でお花を飾る仕事をしている合間に
遊びに行っていました。
そこに、立ち上げたばかりのベンチャーの社長がプレゼンに来ていたんです。
人材派遣会社のノウハウを自分のところへ展開したいという相談に来ていました。
それを聞いた人材派遣会社の方の社長が「暇なやつがいる」と言って
差し出したのが僕だったんです(笑)。
じゃあ少しの期間なら、というつもりでアルバイトとしてお手伝いをスタートしましたが、
急成長している会社は本当に忙しく、さらには新卒社員まで入ってきてしまい、
僕がアルバイトじゃ申し訳ないという気持ちで、
「正社員にさせてください」と自分からお願いしました。
自分の中でも良い経験になるだろうと思い、
花のことはすっぱり辞めて働き出したんです。
まあ、正確にいうと花をやっている暇がなかっただけなんですけどね。

-そこでどんなことをしていたんですか?
最初は全国へ人材の登録者ネットワークを拡げ、システム作りのディレクションをし、
その後管理部門を見ることになり、上場を目指すことになります。
僕の経歴を見て色んな方に「お前が上場準備責任者なんて絶対無理だ」と言われ続けましたが、たくさんの方に助けられ、運良く上場を果たすことができました。

その後は経営企画を作り、買収したお菓子屋さんを担当したりしていました。
自分の中でも一つやりきったという気持ちもあったんでしょうが、
もうそろそろ辞めようと思い立ち、2ヶ月間空白の期間がありました。
何をしようか迷っている時に知り合いのヘッドハンターから連絡をもらい、
上場準備中の会社に入ることになります。

 

もう一度お花の道へ

-そこからもう一度お花をやろうと思い立ったのはどうしてですか?
心の中ではやはり「お花に携わる自分でいたい」という気持ちもありました。
4年前くらいになるんですが、お花好きな男性陣と出会いまして、システム開発ができる方々なのですが
当時から自分のやりたいことをお話ししていたんです。
当時から僕の考えていることに共感してくださっていて
「いつやるの?」とずっと言ってもらっていたんです。
その期間も、こんなふうなのにしよう、あんなふうなのにしようと
ずっと一緒に考えてくれていました。
結果、その方々にhananeのシステムまで作ってもらいました。

このメンバーに出会っていなければ、hananeは出来ませんでした。
本当に感謝しかないです。
システムもどうにかなってしまうし、サービスの開始が出来てしまう。
もうこれはやるしかないなということになって、今の事業を開始することになったんです。

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Chikaraさんの自分らしく生きるきっかけ

はじめからやりたいことが明確な人なんてほとんどいません。
Chikaraさんも、たまたま出会った「花」という世界にのめり込み、
突き詰めていったからこそ、今の課題意識に出会うことが出来たのだと思います。
Chikaraさんが自分らしく生きることができているのは、
「①偶然に出会う②とことんハマってみる③課題に出会う」を繰り返してきたからでした。

それを支えてくれたのが「とにかく飛び込む」という行動力、
そして行動するからこそ生まれてくる「想いの強さ」の二つ。
まさに「自分らしく今を生きる」お手本のような、
聞いていてワクワクするキャリアストーリーでした。

花のある生活を提供して、少しでも人生を豊かにするお手伝いをしていきたい
と語るChikaraさんの力強くも優しい感性が、多くの方の元に届くことを願います。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。

 

かわだ

「自分に似合う服がわからない」を解決するプロに会ってきました

自分らしく今を生きる no.006 原山葵

#イメージコンサルタント #アパレル #似合う服

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

 

今回お会いしたのは、原山葵さん。
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みなさんは「自分に似合う服」がどんな服かわかっていますか?
イメージコンサルタントである彼女のお仕事は、まさにその疑問に応えてくれるものです。
ブライダル学校からアパレル業界へ就職し、数ヶ月後にはあぱれる企業に勤めながらも個人で独立してコンサルタントとして働き始めたという原山さん。
先日、活躍を知ったオーダーメイドブランドとのタイアップの契約が決まったそうです。
22歳という若さながら、最年少イメージコンサルタントとして
猛スピードで飛躍していくその過程には、どんな出会いがあったのか
彼女の挑戦の軌跡を伺ってきました。

 

「自分らしい良さ」に気づいてもらうお仕事

-今のお仕事はどんなものなんですか?
イメージコンサルタントとして「自分に似合う服」を提案し、
他人と比べるのではなく自分らしい良さに気づいてもらうことで
服という切り口から人生をより自信を持って豊かに送れるお手伝いをしています。

 

-「似合う服」ってとても曖昧な表現にも思われるんですが、原山さんはどう考えられているんですか?
その服をその人が着ると、服自体も素敵なものに見えて、本人も素敵に見えるという
「客観的に見てどう見えるか」ということを大切にしています。
例えばわかりやすいのは、着痩せして見えるとか、スタイルがこっちの方がよく見えるとかですね。1人1人違う肌色や、目、鼻、口などのパーツ大きさ、形、色、体全体の骨格に対してバランスの取れた服装が、その人の「似合う服」です。

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-なるほど、具体的にはどんなことをするんですか?
遠方からのご依頼の場合は私が伺うようにしていますが、
首都圏近郊の方は私の自宅までお越しいただいています。

 

-え、自宅でやっているんですか?
はい、もともと住んでいた家の中の物をかなりの量捨てて、
コンサルティングができるサロンに変えてしまいました。
今、うちスッカラカンですよ。笑

そこでだいたい4時間ほどの時間をかけて、
パーソナルカラー分析と呼ばれる似合う色に始まり、
似合う柄やスカートの丈や胸元の開き方などを対話をしながら一緒に探していきます。
生地やカラーの見本を実際にあてながら見ていきますが、
これをやると「あ、こっちの方が顔色が明るく見えますね」みたいに
ご本人でも結構体感できるんですよ。
例えば、同じピンクでも濃い色の方が似合う方もいれば、淡い色の方が似合う方もいますし、
花柄でも大きな柄が疎らに入っている方が似合う方もいれば、
小さな花柄が密にデザインされている方が似合う方もいます。
コンサルティングが終わったら、似合うカラーや生地などの資料を
一式お渡しして、すぐにそれを使って買い物ができるようになります。
女性だと服以外にも、似合うファンデーションやアイシャドー、口紅の色などもお教えしたりします。

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-それだけ詳しく教えてもらえたら服を選ぶのが楽しくなりそうですね。どんな人が相談に来るんですか?
前回お手伝いした方は女医さんだったんですね。
職場では男性社会ということもあり、割としっかりとした雰囲気の服装やメイクをしなければいけない。
でも、本来はエレガントな雰囲気の方で、女性らしい格好が好きな方でした。
そのギャップに疲れてしまったそうなんです。
そういう方に対しては、服装自体を変えるのが難しければ、
常に好きなアクセサリーをつけておくなどして自分の好きな雰囲気を取り入れていくと良いのではというアドバイスをしたりもします。
年代としては30代の方が多いと思います。
それには理由があって、30歳はお肌の曲がり角なんてよく言われますが、
その時になると今まで自分が好きで着ていた服がなんだか似合わないかもと感じやすくなってくるんです。
妊娠出産を通して服の選び方が変わるという方、あとはブライダルのドレス選びで利用していただくことも多いですね。

 

-今の自分にあまり自信がない方がよくいらっしゃるんでしょうか?
お仕事を始める前はそうかもと思っていたんですが、実際は全然違いました。
むしろすごく前向きな方が多くて「もっと自分の人生をよくしたい」という
お気持ちで来てくださる方が多いです。
今後はさらに「今の自分に自信が持ちづらい」と感じる方にまで価値提供できるよう、仕事をしていきたいです。


似合う服を見つけることで人と比べない自分を愛せるようになる

-人によってやっぱり全然違うものなんですか?
はい、本当に全然違います。
私は自分にどんな服が似合うのか似合わないのかわかっているんですが、
他の人で私に似合わない服が似合う人がいると嬉しくなるんです。
なんだか自分の想いを乗せているという感覚になりますね。
一人一人の良さって全然違うんですが、
「あの人みたいにこうだったらな」という風に
他人と比べてしまうことって多いじゃないですか。
でも、イメージコンサルティングを通して
自分に似合うものがわかると自然と他人と比べなくなるんです。
ここが一番大事なところだと思っています。


人生を変えた支配人からの言葉

-もともとそういった仕事を目指して勉強をされていたんですか?
いえ、もともと私はブライダルの専門学校に通っていたんです。
一生に一度の舞台を一緒に作っていくお仕事に魅かれて、
勉強をしていたんですが、当時勤めていた式場の支配人からこう言われたんです。
「結婚式は一生で一度の晴れ舞台、だけど本当は毎日が一度きりだから大切に生きるんだよ」
ブライダルのお仕事も大好きでしたが、この言葉をきっかけに
毎日人が関わる「衣食住」の中で、一番自分が興味を持てる「衣」の世界に入ろうと決めました。
そして、現在も務めているアパレルブランドに新卒で入社しました。

 

お客様との会話で感じた違和感

-素敵な言葉ですね!そこからなぜ独立して今のお仕事をしようと思ったんですか?
ある日、私が商品説明につかせていただいたお客様が、
同じデザインのブラウスで、アイボリーなのかピュアホワイトなのかどちらの色にするのかをすごく迷っていらっしゃいました。
私は、客観的に見て絶対にアイボリーの方が似合うと思ったんです。
当然、そのようにお客様に薦めます。
でも、その時の私は「似合う」ということがちゃんと言葉で説得力を持って伝えられなかった。
結局、そのお客様はどちらの服も買わずに帰って行かれました。

よくアパレル店員さんって「お似合いですよ」って言うじゃないですか。
その体験から、私は「似合うって言うその根拠って何?」
「似合う服って一体何なのか?」ということを
ちゃんと説明できるようになりたいと思うようになりました。
色々調べていて出会ったのがイメージコンサルティングです。
まず本を買って勉強したんですが、これは本を読んでいるだけじゃ抽象的すぎてよくわからないと思ったんですね。
なので、誰かに弟子入りして教えてもらおうと思い立ちました。
カラーだけでなく、デザインについても学べて、かつ独立支援もしてくださるところが良いと思って探していきました。
何人もの先生のところを回り、行き着いたのが今の先生です。
60歳の大ベテランの先生にマンツーマンで教えてもらいました。
ちなみにその先生が教えてもらった師匠は、
アメリカのケネディ大統領のイメージ戦略コンサルティング担当をされた方から
イメージコンサルティングを教えてもらった方で、大きな声では言えませんが、
国民の誰もが知っている日本の皇族のコンサルティングも担当されていました。
その方から教育を受けた私の先生も、負けず劣らずとても優秀な方ですよ。

 

-凄い方に巡り会えたんですね。そして原山さんの行動力が凄い。最初に就職する時からいずれは独立してやろうという想いだったんですか?
そうです。
私、お父さんが15年間ずっとタイにいるんですね。
たぶん、お父さんと一緒にいた時間はその15年間合わせても1ヶ月もないと思います。
そういう経験をしたので、自分が社会人になるときには「自由な働き方をして家族に会いたい、家族の繋ぎ役になろう」と思ったんです。

 

最初のお客様は友人「ちゃんと全額払わせてほしい」

-スキルを身に付けることができても、最初は全然知名度もないし、最初のお客さんはどうやって見つけていったんですか?
もともと、勉強をし始めてから周りの友達とかに「私こういうことやってるんだ」と話はしていたんです。
実際に資格をとったときに改めて「資格がとれました」と報告したりしていると、結構周りの人が興味を持ってくれたんですね。
で、実際に初めて担当した相手は一つ年上の友人でした。
私が本当に周りの人に恵まれているなと思うのは、
こういう風に自分のスキルで仕事をしていこうと思うと、
最初は半額だったり無償だったりで徐々に実績を積んでいくことが多いじゃないですか。
私も最初は上手くいくかもわからなかったし、お金はもらわずにやるつもりでした。
でも、彼女は受診後「全額払う」と言ってくれたんです。
そのお金を受け取って「私はこの人に失礼にならないように、本気でやらないとダメだ」とスイッチをいれてもらったんだと思います。

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新規のお客様に出会う工夫

-今は新たなお客さんと知り合うためにどうされているんですか?
「似合う服は簡単に見つかる」というブログを書いているんですが、これきっかけがメインですね。
リアルのイベントに参加して告知したりもするんですが、結局来ていただけるのはブログのことが多いです。
あとはお客様からの紹介も同じくらい多いですね。

 

-いつからブログを書いているんですか?
一年くらい前、コンサルティングを始めて半年経ったくらいからですね。
メニューなど何かに残しておいた方が人に伝えやすいだろうなと思って、
書き始めたのがきっかけです。
あと、twitterで「似合う服 わからない」とか「似合う服 着たい」とか検索するんです。
そのツイート全てに対してとにかく「いいね」を押し続けるっていうことをやっています。笑
そうやってTwitterきっかけで来てくれた方もいました。

 

-いやその地道な努力素晴らしいですね。そういう手法って誰かに教えてもらうんですか?
いいえ、でも単純に似合う服を着たいと思っている人ってどんな人なんだろうなっていうのが気になるんです。みんなどう思っているのか知りたいじゃないですか。
週に1回は必ず調べて全部「いいね」してます。笑

 

Twitterきっかけでオーダーメイドブランドとの提携が決まる

-先日オーダーメイドブランドとの契約が決まったと聞きましたが、どんな縁だったのですか?
実はこれもTwitterなんです。
Twitterきっかけでそのブランドの展示会が銀座で開催されることを知り、
物凄い雷の中勇気を出して行ったんですね。
そうしたらすごくフレンドリーな方が多くて、そこで話が盛り上がってしまい、
今度またお話ししましょうということになったんです。

-いやー素晴らしい!やっぱり凄い行動力ですね。

 

「似合う服」のECサイトを作りたい

-今後もっと挑戦したいこととかあるんですか?
あります、1週間くらい前に考えたんですけど(笑)
コンサルティングをしたお客様から診断結果で資料をもらっても、
結局実際にお店に行ったら悩んでしまうというお声をよくいただくんですね。
そういったことを後からお客様から相談されることが多いので、
それに対して一通一通ECサイトを送っていたりするんですが、
これをそのままWebサービスにできないかなと思っているんです。
「似合う服が簡単に見つかるECサイト」。
パーソナルカラーごとにカテゴリが分けられたWEBサイトを作りたい。
そうするとみんな選びやすいんじゃないかなと思っています。
「買い物同行」のサービスもありますが、子育て中のお客様はなかなか
買い物に出かけるのが難しかったりするので、需要はあるんじゃないかなーと。
お手伝いしたお客様が100人までいったら作りたいなと思っています。

 

原山葵さんの自分らしく生きるきっかけ

「身の回りの小さなきっかけ」を行動に移すまでのスピード感と
そもそもそのきっかけに気づく感度が原山さんの魅力でした。
ショップ店員として感じた「似合う服」に根拠がないという小さな違和感から
先生を探して弟子入りするまでの行動力。
Twitterでの根気強い「いいね」、雷雨の中知り合ったブランドの展示会へ行き、
スタッフさんと意気投合してしまう行動力。
身の回りに起こる見過ごしてしまいそうな「チャンス」を
確実に次に繋げていく、まさに成功者の行動パターンを感じさせる方でした。

「私の今立っている場所は全部運だと思っています」と語る原山葵さんの圧倒的なスピード感は、
彼女の人に向き合う真摯な姿勢と行動力によって今後さらに加速していくんだろうなと感じるインタビューでした。

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原山葵さんのブログはこちら

似合う服は簡単に見つかる

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ

未来を変えた退職前夜の電話〜ポジティブにファシリテートできる人とは〜

自分らしく今を生きる no.005 大郷和成

#NPO #作業療法士 #パラレルキャリア #ファシリテーター #コミュニティ

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

 

今回お会いしたのは、大郷和成さん。
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ご自身も作業療法士としてのキャリアを歩んでこられた後、
長年勤めた病院を飛び出し、
現在は理事長と立ち上げたNPO法人「laule'a」の副理事長を務めながら
業界の横の繋がりのための場づくりや地域のコミュニティづくりに邁進されています。

 

退職前は130人の組織のNo.2を務めるほど院内で認められていた大郷さん。


好きだった作業療法士としての現場を離れ、
自ら組織を立ち上げるきっかけになったのは一体何だったのか?
さらに仕事の枠を超え、複数のコミュニティづくりを行うなど、
ソーシャルアクションを起こし続けるその想いとは?
お話を伺う中で見えてきた、身の回りの世界をよりよくするためのキーワード

「ポジティブにファシリテートできる人」とは?

 

自分らしく生きるためのヒント満載のお話を伺ってきました。

 

 

障害のあるこどもたちにもワクワクドキドキ体験を

ー今NPOではどんな活動をされているんですか?
小学生から高校生までの障害のあるこどもを放課後の「居場所作り」をしています。
学童保育の障害のある子に特化したもの、だと思っていただくとわかりやすいかもしれません。
居場所のない体の不自由な子、医療の必要な子がたくさんいるという問題があって、
その一つの解決策として彼ら彼女らに「遊び場」と「学び場」を提供することで
障害を持った子達により良い人生を送ってもらう。
そんなことを目指している組織です。

 

ー具体的にはそこでどんなことをするんですか?
同じようなサービスは公的な場所としてはいっぱいあるんです。
うちがそれらと違うのは「社会体験をする場」というのをコンセプトにしている点です。
障害のある子供たちは「体験をする場」というものが凄く少ないんですね。
いわゆる養護学校にいるまいにち決まった人たちとしか会わず、
障害があるゆえに野原を駆け回って秘密基地を作って遊んだりする経験がない。
そういう僕らが小さい頃当たり前に過ごしてきた「ワクワクドキドキするような時間」
を障害がある子達にも味わってほしい、そんな想いでやっています。
スーパーの跡地で大きな敷地があるので、遊具を入れてみたり、
海に出たり、キャンプへ行ったり、そんなことをしています。
そこに来る子の障害も様々で、
発達障害といって見た目ではわからないような障害を持つ子もいれば、
全く動けない子までいます。

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ーそこで一緒に働いている方は大郷さんのような資格者の方なんですか?
いえ、実はうちで働いている方の3分の2は地域のママさんたちなんです。
子連れ出勤OKにしているので、彼女たちが連れてきた子ども達が、
障害のある子達と同じ空間で一緒に遊んでいるような感じです。
働きたいというママさんたち地域の人たちを上手く巻き込んで、
子供たちが地域に出て行きやすいようにしています。

 

福祉の世界を目指すきっかけは中学時代

ー大郷さんはいつから福祉の世界を目指したんですか?
福祉の分野に進みたいと思ったのは中学生の時です。

 

ー早いですね!何があったんですか?
学級委員長をやっている時に、阪神淡路大震災があったんです。
自分の中の何かの正義感なんでしょうが、先生に「何かやりたいんだ」と相談して
クラスで街頭で募金活動をやったりしていました。
中学三年生になった時に、福祉委員会に入って、聾学校や盲学校へ行ったり
老人ホームへ行ったりする企画をしているところの委員長になったんです。
そのときに老人ホームに行くとおじいちゃんたちが喜んでくれるんですよね。
こんなことが仕事にできたら良いなとその時から思い始めました。
その後、大学受験に失敗して自動車工場で働いたりしていた時期もあったんですが、
看護師の叔母からリハビリ専門家になるための学校を紹介してもらったんです。
それがきっかけで作業療法士になっていったんです。
卒業してからは病院に勤めて、体に障害を負った高齢者が
家に帰るまでのリハビリなどサポートをする仕事をしていました。

 

恩師にかけた運命の電話、理事長との出会い

ーその後、どんな風に今のNPOに至るんですか?
病院では割と働きぶりを認めてもらっていて、
130人くらいの組織のNo.2というポジションを任せてもらっていました。
作業療法士という仕事に自体は好きだったんですが、
だんだんポジションが変わることによって
仕事の内容も中間管理職のようなものになり、
なかなか自分の目指すことができない日々が続いていました。

ある時に自分が何のために働いているかよくわからないという思いが大きくなり、
「明日辞表を出そう」と思い立った日があったんです。
最後に専門学校時代にお世話になった恩師に電話をして、
この電話に恩師が出なかったら辞めようと思っていました。

そしたら出たんですよ、恩師が。笑

 

ードラマチックすぎる話ですね。笑
その電話で恩師に今の状況を話したら
「一つの病院に収まりすぎだからもっと外をみなさい」と言われて、
ある人に引き合わせてもらったんです。

その人とウマが合い、湘南で色んな業種のアツい人たち集まり、
思いを共有しあい絆を作っていくというコミュニティを
後に一緒に立ち上げることになります。
そこで出会う人たちはみんな気持ちの良い人たちで、
社会的なアクションを起こしたいという人ばかりでした。

外に出ることで、院内での自分のポジションを俯瞰的に見られるようになり、
「自分だからできること」が見えてきたんです。
もっとチームがよくなるためのマネジメントをしながら、
外に出て活動をする機会がどんどんふ増えていきました。

そこに今の理事長が来て知り合ったのが今のNPOを立ち上げるきっかけになっています。
理事長からこう言われたんです。
「大郷さんは人に雇われる側じゃなくて、作る側の人だと思うよ。それをもっとやって良いんじゃない。」
そこで自分もハッとして、NPOに参画して一緒に立ち上げることを決めました。

 

自ら仕掛け「第4のコミュニティ」を作りにいく

ー今はそのNPO以外での活動も継続してやってらっしゃるんですか?
僕はコミュニティが4つあると良いと思っているんです。
1つは家族、もう一つは職場、そして趣味仲間や友達などウマが合う人たち、
4つ目がビジョンや価値観を共有できる仲間たちとの集合体です。
湘南の異業種の交流会はまさにそうなんですが、
こういう集まりって凄く心地が良いんですよね。
職場で完全に価値観を共有できる仲間がいて、
自分のやりたいことを全部できていれば良いんですが
なかなかそういうことって難しいじゃないですか。
これから、そういう場がとても大事になってくると思っています。
そういうコミュニティを作るために、
「自分軸で考える」ためのセミナーを企画運営したり、
作業療法士の集まるカタリバを運営したりしています。

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これからはポジティブにファシリテートできる人が必要になる

ー今後はどんなことをされていくんですか
今後、さっき話した4つ目のような小さいコミュニティがどんどんできていくと思うんです。
そうなった時に、人と人との関係をファシリテートしていける人が凄く大切なキーマンになると思うんです。
ただ集まるだけではダメで、ポジティブに場をファシリテートできる人、
そういう人材をもっともっと増やしていくことが社会をよりよくすると思っています。
そういう人をどんどん増やしていけるような活動ができたらと思っています。

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大郷さんの変わるきっかけ

大郷さんの変わるきっかけにはいつも「キーになる人」の存在がありました。
異業種交流会立ち上げの出会いを作った専門の恩師、
ともに異業種交流会を立ち上げた方、そしてNPOの理事長。
今の前向きな大郷さんを作った一番のきっかけは、
やはり「外に出たこと」に尽きるのではないかと思います。
外に出ることで新たな出会いがどんどん生まれ、
人生が好転していくストーリーはとても聞き応えのあるお話でした。


「元気がない人を見ると元気にしたくなる」と笑顔で語る大郷さんは、
NPOの活動でも、コミュニティ形成の活動でも、まさに有言実行されていて
根っからの「福祉マン」だなと感じさせられました。
お話を聞いているとこちらまでワクワクテンションが上がってくるような
素敵な時間を過ごさせていただきました。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。

 


かわだ

自分らしく今を生きる no.004〜自分らしさに向き合う方法とは〜

#ソーシャルアパートメント #コミュニティ #コーチング #自分の枠の外し方


こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。


今回お会いしたのは、高梨翔さん(26歳)。

都内でソーシャルアパートメントを運営する不動産系ベンチャー“グローバルエージェンツ”で働いています。

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photo by miho kuroda

https://www.facebook.com/miho.kuroda.144


Global Agents
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起業を目指す高梨さんのこれからの人生のテーマは、
「どうしたら自分らしく生きる人を増やすことに貢献できるか」。
僕と全く同じテーマを生きる人に出会い、
朝からテンション上がってお話ししてしまいました。
今のお仕事である不動産とどう関係があるのか?ないのか?
高梨さんがこのテーマに行き着いた経緯をお聞きしてきました。

 


コミュニティの魅力に気づいた


−今の仕事はどんなことをやっているんですか?
ソーシャルアパートメントという、数十人から200人規模の隣人交流型マンションの運営・管理などをやっています。
お金がない学生が住むシェアハウスというような物件ではなく、30歳前後の方が住むコミュニティ活動が活発な共同住宅です。
なので、家賃も10万前後に設定されている物件も多く、一人暮らしとして特に安いわけではありません。
物件にもよりますが、学生で入居されているのは全体の1割弱くらいです。
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出典:http://www.global-agents.co.jp/portfoliopage/


−どうして今の会社には新卒で入ったんですか?
学生時代にバックパッカーとして海外を回っていました。
だんだん学生生活も終わりが見えてきた頃「就職するのが嫌でどうしよう…」と思っていたんです。
周りの大人に聞いても「社会に出たら辛いぞ、今のうちに遊んどけ」みたいなことばかり言われていましたし。
今思うと、イキイキと働いている人に出会えていなかっただけなですけどね。
悩んでいたときに「だったら先にお試しで社会に出てみよう」と思い立ち休学してインターンを始めたのが今の会社でした。


−なるほど。でも、なぜこの会社をインターン先に選んだんですか?
インドや東南アジアで見つけたホテルのラウンジでの経験が頭に残っていたんです。
年上も年下も国籍も関係なく、みんなフラットに話ができる空間があり、
日常にこんな空間があればいいのにって思っていた時に、
ソーシャルアパートメント事業をやる今の会社を見つけたんです。


−高梨さん自身もソーシャルアパートに住んでいるんですか?
今は結婚をしたので出てしまいましたが、僕も4年ほど住んでいました。
ちなみに奥さんは台湾の人なんですが、このソーシャルアパートメントで出会いました。


−おお、まさにソーシャルアパートメントに出会って人生を変えたんですね!
僕自身もソーシャルアパートメントに住むことで「こんな面白い働き方、生き方をしている人もいるんだ」と衝撃の出会いを経験しました。
学生時代に出会っていた「今のうちに遊んでおけ」「社会に出たら大変」という大人たちとは全く違う人種の人たちでした。
彼ら彼女らとの出会いによって「自分の枠が外れていく」感覚を経験したんです。


−「自分の枠が外れていく」というのは?
僕自身も入居前はそうだったんですが、部分の人は「普通はこう」とか「親や先輩も言っているから」のように、自分の中に持っている考えよりも、誰かが決めた枠組みの中でいろんなことを決めていることが多いです。
ソーシャルアパートメントで生活することで、「自分らしく生きる」人にたくさん出会うことで、彼ら彼女らが凄く楽しそうに生きていることに気づいたんです。


−誰かの基準でなく、自分らしく生き方を決めていくことが枠を外すということなんですね。
はい、その後もアパートメントに入ってくる人を見ていると、ここでの出会いをきっかけに枠を外して生きていく人がたくさんいました。
そういう人たちを見る中で「自分らしく生きる」人を増やすための仕掛けとしてコミュニティの持つ魅力を強く感じていくようになりました。


コーチングとの出会い


−今後はどういうことをやっていこうと思われているんですか?
何年もそういったコミュニティを見ていると、同じようにアパートメントに入ってきても、枠を外して楽しく生きている人とそうでない人がいることに気がつき始めたんです。
恐らく、ソーシャルアパートメントの知名度が上がってきたことで、色々な人がいるところになっていったことが大きかったんだと思います。
自分に素直になれる人たちは、周りの環境を少し変えるだけで変化していきますが、自分に素直になれない人たちはソーシャルアパートメントに住むだけでは自分を変えられないまま、枠を外せないまま出て行く人が多い。
自分に素直でないから、何となく楽しく過ごせたけれども自分の生き方が大きく変わったというところまではいかない。
「どうしたらそういう人にも変わる機会を提供できるか」というのが僕の今のテーマです。
だって、自分に素直であろうとなかろうと「人生を最高に楽しみにたい」と思っているのは共通だと思うので。「人生を最高に楽したい」と思うにはまず「自分の枠を外す」というのが一番良いと思います。


−具体的に何か打ち手はあるんですか?
はい、そんな時に出会ったのが同じアパートメントに住む知人が学び始めた「コーチング」だったんです。
今や2~3ヶ月待ちとなるまでになった(しかもこれ複業です…!)彼のコーチングのモニターが僕でした。
それまではコーチングって何か怪しいイメージを持っていたんですが、実際に体験をして衝撃を受けました。
自分への問いかけから潜在的な自分を見出して、課題を設定し少しずつクリアしていくコーチングにより、自分の枠が徐々に外れていく感覚を得たんです。
自分で感じていた今の仕事の天井を毎回一段ずつ引き上げてくれる感じでした。
この一対一のやりとりで進められていくコーチングというメソッドに大きな可能性を感じました。

 

−じゃあ自分でもコーチをやっていこうと?
いえ、僕が自分でやるよりも、マッチングのプラットフォームがあれば良いなぁと思っています。
まだまだ調査中ですが、実は世の中にはアマチュアのコーチという方がたくさんいるんです。
でも、コーチングというと最初の僕のように、カウンセリングやプロコーチの高い価格ばかりに目がいき、世間の印象が悪いというのが実情だと思います。
プロコーチでない、複業としてコーチの資格を持っている人がなぜ一本にしないかというと単純に集客ができないからというのが大きな理由の一つらしいです。
だから、彼らと「自分らしく生きたいと思っている人」をつなぐ架け橋になるようなマッチングプラットフォームを作れたらなぁというのが、最近考えていることです。 

高梨さんの自分らしく今を生きるきっかけ

キーワードは、出会いを自分で作り出す行動力
「コミュニティ」と「コーチング」を自分らしく生きるための手段として見出した高梨さんが今の生き方をできているのは、そもそも自ら外に出ていこうとする行動から始まっていました。
学生時代のバックパック旅行という行動、インターンをやっちゃおうという行動、この2つの能動的な動きが、今の高梨さん魅力的にしてくれたハイライトだったんじゃないかなと思います。
「自分らしく生きる人を増やしたい」と語る高梨さんの目は、間違いなく自分らしく生きている人の目でした。
僕も同士に出会えて、とても嬉しい楽しい時間でした。

 

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。


かわだ

オススメ本 no.003『必ず食える1%の人になる方法』 藤原和博

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こんな人におすすめ

自分は何を目指して生きていくんだろうとモヤモヤしている人
キングコング西野さんが好きな人

 


仕事と生き方を「権力志向⇄プロ志向」「経済価値重視⇄経済以外の価値重視」の2軸を使い、4象限に分けて、それぞれで稼いで生きていくためにどうしたら良いのかを解説している本です。

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http://amzn.asia/5UtZInB


藤原さん自身の人生戦略が色濃く反映された、現代の生き方解説本という感じ。

「1万時間の法則」を使って、1/100の人に3回なろうと藤原さんは言います。
何でも1万時間やれば1/100の一流人材になれる。
それを3つの分野でやれば掛け合わせで1/100万の人になれると。

この考え方は非常にシンプルでかつ、誰でも全員に可能性があるという点が大好きです。
先生時代にはこれを「レアカード」というわかりやすいワードを使って
授業していいらっしゃいました。

ご自身の経験から語られているので当然ですが、藤原さん自身がこの理論通りのユニークなキャリアをされています。
(リクルート営業→マネージャー→学校の校長)

綺麗にみんなが4象限のどこかに収まるわけではないと思います。
こういうのを聞くとみんな必ず1つの象限に当てはめようとするけどそれは勿体無い。
全員を綺麗に4つに分けるなんてことはできないので、
中でも今の自分に強いのはこの要素だな、みたいに良いとこ取りすれば良い。
同じ人でもタイミングが変わると別の象限にいる可能性も高いです。

僕はB領域を目指すために今はC領域にいます。
経済価値を求めるプロ志向である「B」領域へ行きたいという思いが強いですが、
今の生き方は、経済価値以外の価値である繋がりを重視しながらも安定的な収入を得る「C」タイプにかなり近いです。

あなたはどのタイプに近そうですか?

 

 

藤原和博の必ず食える1%の人になる方法

藤原和博の必ず食える1%の人になる方法