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自分らしく生きている素敵な人を見つけてご紹介していきます

パティシエ×フリーランスで描く新しいキャリアの在り方

#インタビュー #パティシエ #フリーランス #キャリア

 

自分らしく今を生きるvol.9 パティシエ堀田麻未

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

 

今回お会いしたのは、堀田麻未さん(23歳)。
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フリーランスのパティシエとは一体どんな働き方なのか、
なぜお店に所属しないという道を選んだのか、
その辺りに自分らしく生きるポイントがありそうですね。
まさにこれからの時代の生き方を実践され始めている堀田さんに
そのきっかけや今後の展望についてじっくり伺ってきました。

 

 

フリーランス×パティシエのきっかけは

−フリーランスのパティシエだと仰っていましたが、具体的にはどんなことをしているんですか?
お菓子のケータリング、イベントの運営、お菓子教室の3つをやっています。
元々イベントの運営を手伝わせていただくことになって、
それがきっかけでケータリングのお仕事も始めました。

屋号は「sweety」でゆくゆくは、株式会社にする予定です。

 

−いつからフリーランスとして動いているんですか?

一年前くらいからです。
元からそういう風に生きていこうと決めていたわけでは全くなく、
一度パティシエの見習いとしてお店に勤めて、そこを辞めてから色々な交流会に参加してたんですが、
そこであるカメラマンの方と出会ったのが大きかったと思います。
その方が運営メンバーとして関わっているイベントに呼んでいただき、
そこで料理のケータリングをオーダーしていたんですが、
「良かったらここでデザートを作ってくれないか」とオファーをいただいたのがきっかけです。
そんなことはやった経験がなかったですし、そもそも勤めていたお店でも
まだ下積みという段階だったので私で良いんですか⁉︎という気持ちでしたが、
その主催者の方から「良いよ良いよ好きなように作ってくれれば」と言っていただいたこともあって始めることになりました。

 

−色々なイベントに顔を出す中でそのカメラマンの方と出会ったというのが一つのターニングポイントになったんですか?
そうですね。未だにプロフィール写真を撮ってもらったりお付き合いを続けさせてもらっています。
その頃から「良いご縁が広がっていっているな」という感覚を持つようになりました。
この縁は直感的に無駄にしちゃいけないなと思ったんです。

 

−そのカメラマンの方と最初に会ってからどのくらいでフリーランスでいこうと決めたんですか?

最初にお会いしたのは独立する半年前くらいですね。
自分でも独立するなんて思ってもいなかったので、本当にびっくりです(笑)

 

就職先は一目惚れで決める

−その前は何をされていたんですか?
福岡の専門学校を卒業して、働きたいと思えるお店が東京にあった最初に就職したそのお店1店舗しかなかったんです。
お菓子屋さんはたくさんありますが、実際に見にいってみて
好きだと思えるところは本当にその1店舗しかありませんでした。
外観、内装、お菓子の味、全部が好きでした。
帰りにお店のガラスにスタッフを募集していると貼ってあったので、
そこで働くとすぐに決めました。

 

−素晴らしい意思決定スピードですね(笑)。他のお店はいくつくらい見たんですか?

15店舗くらい見ましたね。
もちろん美味しいお店はたくさんありましたが、
自分が働くというイメージができたのはそのお店だけでした。
フランスで見たお菓子屋さんが理想だったので、そのイメージに近かったというのが一番の理由かもしれません。

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−フランスに行っていたのは学生時代ですか?
15人限定で3ヶ月間留学に行けるというプログラムがあり、それを使って行きました。
そのプログラムがあったのでその学校に入ったんです。

 

お菓子の販売を始めた小学生

−そもそもなぜお菓子の世界を目指したんですか?
最初は小学校4年生の頃に出会った本がきっかけです。
図書室に「わかったさんの⚫︎⚫︎」というシリーズものの本が置いてあって、
最後にレシピが載っているので、自分でも作ってみようと思ったんです。
自分で作ってみて、親に食べてもらったら美味しいと言ってもらえたので
「お菓子作りって楽しい」と思い始めました。
実家が自分で牧場を経営しているんでですが、
お母さんがその中の精肉店でお菓子を売ったらどうかと言ってくれ、
毎週土曜に1個50円、12個限定で販売をさせてもらっていました。
600円は自分の手元に全て入るので、
それを使ってまたお菓子の材料を買いに行くというのが楽しかった。
完売するのも、お客さんに覚えてもらうのも嬉しかったのをよく覚えています。
毎日図書室に行って色々なレシピを自分のレシピ本にストックしていっていました。

 

−その販売はいつまでやっていたんですか?
小学校5年生でバスケを始める前までです。
そこからは忙しくなってしまい、毎週作るのはやめてしまいましたが、
誰かの誕生日とか歓迎会とかの時だけ夜通し作って持っていったりはしていました。
喜んでもらえるのが嬉しかったんでしょうね。

 

−小学生の頃から人に価値提供をするという原体験が堀田さんの今に繋がっているんですね。バスケはいつまでやっていたんですすか?
8年間、高校まではずっとやっていました。
その間も中学生頃まではずっとイベントの度にお菓子を作っていました。
レイトショーに中学生を連れていくような親だったので、
朝方4時頃までお菓子を作ってから部活に行っても特に怒られたりはしなかったです。
人生楽しいことをしようという親だったんです。

 

−高校までバスケに打ち込んで、進路を考えるときにはすぐにパティシエだと決めたんですか?
後々は実家がレストランを出店しようとしていたので、
管理栄養士の資格をとったら良いのではと親にアドバイスをもらって、
最初は4年制の大学に行く予定でした。
物凄い受験勉強もしていましたが、どこかでお菓子のことが頭から離れなくて
こういうお店にしたいとか、こういうメニューにしようとか
色んなことを妄想している自分に気がついたんです。
こんなにお菓子をやりたいのに4年制の大学に行くのは時間がもったいない、
そもそも親から言われて管理栄養士の資格を取ろうとしただけで
自分が本当にやりたいことではないと思うようになりました。
9月くらいに親に言いました。
「頑張って勉強しているんだけど、正直お菓子のことしか考えていない。だからここの専門学校に行かせてほしい。」
事前に調べていたので、福岡の中でもしっかりしていて、フランス留学ができるプログラムのあるところを親に提案しました。
10月にはもう合格してその学校に行くことが決まっていました。

 

−行動力とスピード感あるエピソードですね。勉強が苦手だったというわけではないってことですか?
むしろ勉強すること自体は楽しかったですね。
”完璧なノート”を先生と一緒に作ったりしていました

 

−“完璧なノート”って何ですか?
先生に言われた通りに過去問を解いて、間違えた箇所を訂正して、そこに自分なりの解釈を書き加えて提出するんです。
そこに先生の解釈を追加してもらって一緒に作っていくんです。
先生にもこれは凄いノートだぞと言われたりしていましたね(笑)。

 

−最初に専門学校に行くと言い出したときに親には何て言われたんですか?
特に否定はされなかったですね。
「本当にいいの?」と聞かれたくらいです。
実は高校の最初は専門に行く気満々で文系を選択していたんです。
途中で親から管理栄養士の話をしてもらってそっちに切り替えたので、
親としても突然の話というわけではなかったというのもあったと思います。

 

初めて“死”を意識した交通事故

−専門学校に入ったらやっぱり楽しかったんですか?

最初は本当にやる気満々でしたね。コンクールとかももう全部出してやろうと。
息巻いて入ったんですが、1ヶ月後くらいに交通事故に遭ってしまい脚を粉砕骨折して1ヶ月間入院をすることになってしまったんです。
出席できないのでどんどん置いていかれてしまい、留年か退学かという話も出てしまっていました。
もうお菓子の道はやめようかとも思っていたんですが、あと1日休んだらアウトという本当にギリギリで復帰することができたんです。
一人遅れているから、夏休みは毎週実技のテストを受けていました。
全部一発合格して、追いついてむしろ追い越すくらい頑張りました。
その事故で、自分が気をつけていても「あぁこういう風に死んでしまうこともあるんだ」と感じることができたのは大きかったと思います。
人はいつ死ぬかわかないし、いつまでも時間があると思っちゃいけないなと思いました。

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−専門に通っている途中にフランスに留学に行くんですよね?
はい、でも最初人数が足りなくて焦りました。笑
最小催行人数が10人だったんですが、希望者が7人しかいなくて。
結構な費用もかかるので、みんな興味はあるけどお金が…みたいな感じでした。
「これに行くためにこの学校に入ったのにヤバイ」と思いましたね。
なので色んな人に声をかけまくりました。
何とか10人集まったんですが、そのうち私のクラスが9人でした。笑

 

憧れのフランス、話せないけどこもらない

−その人を動かす力は凄いですね。向こうでは何をするんですか?
総合専門学校のパティスリー部門に入って、シェフから直接教えてもらえるんです。
フランス語は最初全然わからなかったですが、めちゃくちゃ楽しかったです。
作り方も材料すら全部が違って、焼く前からバターとかがめちゃくちゃ良い匂いがするんですよ。

 

−フランス語は勉強していったんですか?
「はじめまして、こんにちは、私の名前はまみです」しか言えなかったです。笑
本当に最初の1ヶ月はコミュニケーションが全然とれなかったですね。
ホームステイをさせてもらっていたんですが、
絶対に部屋にはこもらないようにしていました。
理解できないけどリビングに行って勉強したり、家族の会話を耳で聞いて愛想笑いしたり、
たまたまその家の子がジブリが好きだったので貸してもらって、それで覚えたりしました。
1ヶ月くらいでようやく今日学校で何をしてきたかくらいは言えるようになりましたが、
ちゃんと話せるようになるまでは2ヶ月くらいかかりました。

 

−じゃあお菓子の勉強もやっぱり全然何言ってるかわからなかったんですか?
いえ、お菓子はシェフの動きを見ているし、
もともとフランス語のまま使っている用語も多いので、そっちの方が理解は早かったです。
家でもお菓子の話になったら入れるという感じでしたね。
最後の1ヶ月は結構楽しくて、第二の家族みたいになれました。
子供たちがビズ(互いの頰を合わせるフランスの挨拶)を日本人相手にしたのは
5人来た中で私が初めてだったみたいです。
「あなたが来てくれて家族も明るくなって楽しかった」と言ってもらえたのは凄く嬉しかったですね。

 

今のベースを作ってくれた下積み時代

−最初に働いたお店はどのくらいの期間働いたんですか?
約2年間です。

 

−気にって入ってみてやっぱりここだったという感じだったんですか?
今思えばやっぱりあそこだったんだろうなと思いますが、
当時はもうちょっと周りもちゃんと見れば良かったと思っていました。
給料も聞かずに入りましたから。笑
初月の給料は13万ちょっとくらいでした。

 

−そこを辞めたきっかけは何だったんですか?
給料もそんな状態でしたが、1年目はとりあえず雇ってくれたシェフのためにと思ってやっていました。
でもなかなか後輩も入ってこず、しんどいなと思い始めていたんですが、
クリスマスの繁忙期を乗り越えるとやっぱりここでお菓子を作りたいな
という思いに立ち返ることができるんですよね。
でもまた年始からこっ酷く怒られて「ダメだ」みたいになる繰り返しでした。
私の年と同じくらいの経験があるシェフに直接教えてもらっている
感謝の気持ちで気持ちが繋がっていたんですが、
次に入ってくる予定だった方が研修途中で辞退をされてしまった後、
それが私のせいだという言い方をされてしまったことで糸が切れてしまったんです。
自分が頑張ってきた2年間は何だったんだろうと思いました。
シェフにはもちろん引き止められましたが、
もう気持ちが完全に離れてしまっていたので
最後は喧嘩別れみたいな感じになってしまいましたが、お店を後にすることになりました。

 

−その後はどうしていたんですか?
軽井沢にいた親戚の家に行かせてもらってしばらく引きこもったり
地元に帰って友達と会ったりしていました。
でもこのままじゃダメだなと思い、東京に帰って来て飲食店でアルバイトを始めました。
4ヶ月くらいは全くお菓子を作っていなかったです。

 

運命を切り開く出会い

−アルバイトを始めてからどのくらいで先ほどののカメラマンに出会うんですか?
2ヶ月くらいで始めて行ったフランスパーティーで出会います。
歌舞伎町の奥のホテルの地下のバーで「超怪しい…」みたいな感じのところでした。
目の前まで行ってあまりに怪しいから帰ろうかと思いましたが、
そこでその方に出会えたから、こういう風に繋がりを外に作りに行くのは良いかもしれないと思えたんです。

 

−なぜそのパーティに行こうと思ったんですか?
ワーキングホリデーでフランスにもう一回行きたいと思っていて、
もう半年後に行くという日程まで決まっていたので、フランス語を勉強しないとと思ったからです。
結局そのワーキングホリデーには行かずにフリーランスとして独立してしまったんですけど。
その後もそういったイベントに出向くようになって、楽しかったし交流関係は凄く広がりました。
その後に最初にお話しした交流会イベントに誘ってもらい、主催者の方に出会いました。
今までパティシエしかしていないので、こんな風に出会って仕事になることなんてあるんだと驚きました。

 

−フリーランスで生きてくというきっかけをくれたのは誰だったんですか?
そのイベントの主催者の方です。
「自分の良さを活かしていきなよ」と言ってもらったんです。
人当たりも悪くないし、友達を広げていくのも好きだし、そういう社交性がありながら
お菓子を作れるという手に職があるんだから活かしていったら良いじゃんと。
どういうことを自分がやっていきたいのかを言語化するサポートもしていただきましたね。
独立すると決めてからセミナーや講演会などにも足を運ぶようになって、
おじいちゃんもお父さんも経営者だし、自分もたぶん経営とかは好きなんだろうなと思い始めました。
それまではスキルをとにかく磨かないとと思っていましたが、
自分のお店を出すにしても経営者としての力がないといけないだろうと。
昔働いていたお店のシェフも、今思えばたぶんそこに困っていたんだと思います。
私よりもパティシエとしてのスキルを持っている人はたくさんいるので、
自分はそうではなく人を動かす力を身につけて、
スキルのある人と一緒に働いていくような、そんな生き方でも良いのかなと視点が少しずつ変わっていきました。

 

全国を回って地元の素材でお菓子を作りたい

−今後はどうしていこうと思っているんですか?

やっぱり海外に行きたいという思いもありますし、最近思っているのはキャンピングカーで全国を回るお菓子屋さんをやりたいなと。
『シェフ』という映画がありましたが、あれのお菓子版をやりたいんです。
現地の人と触れ合いながら、その土地のものを使ってお菓子を作って届けていく。
あとはやっぱり、地元に戻って自分のお店を持ちたいという思いもありますね。

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<まとめ>堀田さんの自分らしく生きるきっかけ

マドレーヌを自分でも作ってみようという行動、勉強していたけどやっぱり専門学校だという決断、自分の好きな店はここだという就職の決断。
思いついたら即行動していく突破力が堀田さんの人生を作っている大きな要素だと思います。
そしてもう一つはその周りに登場する人たち。
「販売してみたら」と言ってくれた母親、交流会で出会ったカメラマン、フリーランスへのきっかけを作ってくれたイベントの主催者の方。
23歳という若さながら、自分の生きていく、勝負していく道が見え始めているのは、
周囲の人からそこしずつ広げてもらった世界で挑戦をし続けているからこそなんだと思います。
これからの活躍が本当に楽しみになるインタビューでした。

 

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ