数値化できない成果と生産性
今日はいきなり本題に入ってみます。
昨日の奏的なくだりはウザイと“毎日最もスピーディにフィードバックをくれる人”から指摘をいただいたので。笑
結構イントロ部分大事にしてたんだけどな。。
今日は昨日書いた成果の話の僕なりの解釈をお話しします。
まぁ何事においても成果を追い求めるのは大切だと、ほんとつい最近になってようやく気づき始めたばっかりなんですが。
成果には二種類あると思っていて、
数値化できる成果と数値化できない成果の二つ。
わかりやすいのは数値化できる成果ですね。
数字は万国共通言語なので、これで測れる生産性は自分でも「生産性=成果/かけた時間」の式が解けます。
ポイントは“自分でも”というところ。
数値化できるとそれを誰か他の人と擦り合わせることができるので、相手に確認しなくても数字を見れば成果がわかります。
だから商売の生産性はとっても測りやすいです。
難しいのは数値化できない成果の方で、これは共通指標として測れないので、“自分一人では”さっきの式が解けません。
“対象となる相手に聞かないとわからない”のがこっちの成果。
例えば昨日出した二つの例。
(意匠)建築家の仕事は基本的にはお施主さんがいるので、お施主さんがどれだけ満足(感動)したか、とかが成果になると思います。
これは建築家一人では絶対に測れない成果で、お施主さんに聞かないとわかりません。
主婦・主夫の成果は難しいんですが、
家族の満足や感謝の気持ちが成果になるんじゃないかなーと思ってます。
だから会話をしてその成果をちゃんと確かめることがとても重要なんだろうなと最近になってようやく、何となく気付き始めました。
一方で分母の時間の方を見てみます。
僕にもいくつかの顔があって、
夫の河田豊として追い求める成果と期待、
パパの河田豊として追い求める成果と期待
は当然違っています。
まぁみんなそうですよね。
ですが、分母にくる使える時間は1日24時間、週168時間しかありません。
結婚して子供ができると役割が増えるので、分子の成果はバリエーションを求められることになるのに
分母の時間は変わらない。
最初はなかなかこのことに気がつかないんですよね。
話し合いをして意識的に仕事に偏重させている人と
無計画に仕事に偏重してしまっている人では、
投下した時間は一緒でも
後者は期待値(自分への期待も相手からの期待も)調整ができていないので
トータルの生産性がかなり低くなり、超ストレスフルになります。
この自分→自分、相手→自分という期待値の調整はとても重要だと思っています。
これをわかっている人は生産性の高い人生を過ごしている人だと思います。
まぁこの点僕はまだまだ感が半端ないです。
うーーーん、ちょっとまとまりがない。。
というか、小難しく書くとカッコ良いんじゃないか感が丸見えになっている。。
まぁ、もう眠いしいいや。笑
今日は「後半にかけてちょっと意味わかんない」というツッコミをたくさんいただけそうな感じになりましたが、
ぜひバシバシとよろしくお願いします。