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自分らしく生きている素敵な人を見つけてご紹介していきます

映画「今を生きる」見て下さい!最高にオススメな映画です。

育休8日目。
久々に心震わされる映画を観ました。
※超詳細にネタバレします、が、むしろそれで見てもらうとより面白いかもしれません。
※長文注意です。

今日は妻と娘が従兄弟に会うために実家に帰っているので、一人で家で日中の長い時間を過ごす久々の機会。
なかなか普段できてないこと…と考えて、気になっていた映画を観ることに。
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出典https://www.google.co.jp/amp/eiga.com/amp/movie/42487/

僕の今の人生観とリンクしていそうだと期待して観たけど、期待以上の内容でした。
監督ピーター・ウィアーが伝えたかったことは何なのか、ちょっと考えてみることにします。

〜あらすじ〜
エリート主義、士業に対する尊敬の念が社会通念になっていそうな時代。
舞台はどこかの田舎に建てられた高等学校。
全寮制になっており、エリートを排出する伝統ある学校。
登場する少年たちはみんな名門大学へ進学しエリートビジネスマンになるため
女子生徒のいない、都会の娯楽もない禁欲的な生活を送る。

物語は、そこに一人の転校生と若い新任の英語教師(キーティング)が登場するところから始まる。
言うまでもなく、この2人が物語のキーマンになっている。

厳しい両親からの期待、先生からの高い勉学の要求レベルに対し、
少年たちは、みんなとても真面目にその期待に応えようと努力を続けている。
先生たちはどう観てもみんな50代以降のベテランばかり。
リベラルアーツに対して造詣が深いものの、少し前時代的なトップダウンの堅い感じ。

そこにやってきた当学校の卒業生であるキーティング。
彼の授業を通して、少年たちは
「周囲に決められた道をただ守るのではなく、自分なりに考えて自分の本当にやりたいことを叶える生き方」の道へと突き動かされていく。

キーティングが少年たちに教えたのは「詩」の世界。
彼が最初に少年たちに教えた言葉、それが「Carpe Diem」。
「今を生きる」というその言葉には、
我々は全員が死に向かって1日1日を生きており、
だからこそ後悔のないよう自分の本心に向き合い、
今を後悔のないように生きろというメッセージが込められている。

周囲からの計り知れない期待を背負うエリートだからこそ、
キーティングの言葉は心に突き刺さっていく。

少年たちのグループには、世の中のどの集団を見てもそうであるように
情報感度が高く、リスクを取ってリーダーシップを発揮できるキャラクターも、
彼らに魅力を感じながらもなかなか自分自身は行動を起こせないキャラクターも、
その中間に属する「フォロワー」も、
行動の結果身にかかった危機の際には「自分がかわいい余り仲間を売る」キャラクターも登場する。

やはりリーダーがキーティングの教えに最も早く感化され、
少年たちのコミュニティを動かし一つに束ねていく。
しかし、少年たちを先導したリーダーは自らの親に
「今本当にやりたいこと」を一切認めてもらえず、
別の学校に移るよう「命令」される。
彼と父の関係は常に父の引いたレールを歩み期待に応え続ける主従関係だった。
キーティングとの出会いにより、自分の心の声に耳を傾け、
「ようやく出会えた心からやりたいこと」を
父によって封じ込められた少年は、絶望により自殺してしまう。

この事件によってその責任をとらされたのは、
型破りな授業で少年たちを扇動したと言われたキーティングだった。

キーティングは学校を追われることになり、
その最終日に校長が代行していた英語の授業に忘れ物をした
キーティングが戻ると
キーティングの退任に署名させられた
転校生の少年はどうしても彼に感謝を伝えたくて、
キーティングがいつかやった「机の上に乗る」という行為("良い子"はやらない、周囲の大人からは非難される行為の象徴)によって
変わった自分自身をキーティングに見せ、
退任する彼への敬意を表明するのが最後のシーン。
この転校生は、仲間の中で最も臆病で自己肯定感の低い少年だったが、
キーティングの詩の発表課題によって自らのありのままをさらけ出し
周囲から評価されるという初めての経験をさせてもらっていた当人だった。
彼が、いの一番に机の上に乗ってキーティングを賞賛し、
そこにフォロワーの少年が続々と続いていくラストシーンは心震えるものがある。


〜一番の論点はたぶんここ〜
キーティングが高校生に教えたことは正しかったのか?
(「17歳そこそこの高校生が自分で道を決めることはできるのか?情報量が足りないのではないか?今やりたいことを優先したがために将来の可能性を潰すことにもなりかねないのではないか?」という論点です)

僕はそれでもキーティングが教えたことには大きな意義があったと思う。
相手がエリート街道を上ってきた高校生だからこそ、
「自分らしく今を生きろ」という問いかけは輝きを放つ。

自殺した少年は、親に医者になれと言われていた。
彼にとって医者になることにはどんな意味があったのか?
お金に困らない未来なのか、困っている人を研究開発により救うことのできる未来なのか。
彼ほど優秀な人は奇異な存在であり、その才能を世の中に生かすべきだと願っていたからなのか。
父親はそこまで息子に情報提供をすべきだった。
それが親の役目だと思う。子供の知らない世界までしっかり伝えていく。
でも、その上で意思決定をするのは、高校生にもなっているのであれば
僕は本人にさせるべきだと思う。

もし、その未来を描いていないのならば、
あの父親はただの自己満足のために自慢の息子を作ろうとしていたにすぎない。
恐らく、いや絶対にそうではないはず。少なくとも最初は息子のためを思ってだったはず。
ところが序盤のシーンで父親は友達の前で反抗してくる息子に対し
「恥をかかせるな」という趣旨の発言をしている。これは完全に親のエゴになってしまっている。

あのまま、彼のように優秀な少年が役者の道に行っていたら、
あるいは役者として大成した後、演劇という手段を取り入れた教師となり、
恵まれないこどもたちに希望を与える仕事に就ていたかもしれない。
彼のようにキーティングの言葉でアクションを変えてしまえるリーダー人材は、
このタイミングでキーティングに出会っていなかったとしても、
早かれ遅かれ「自分なりの道」を歩むようになる人だと思う。
逆に、同じようにキーティングの授業を受けていても
最後のシーンで机の上に立たなかった子たちのように、
そのままレールに乗って出世していく人材もいる。

それで良いと思う。そういう人も世の中にはやっぱり必要だから。



「自分らしく今を生きる」というテーマの教科書的な題材でした。
もし見ていない方がいれば、ぜひ。
そして意見交換しましょう!