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自分らしく生きている素敵な人を見つけてご紹介していきます

育休は近いのに見えなかった“半径1kmの世界”を楽しむきっかけになる

男の育休リアルストーリー Vol.3

自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。
取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。

その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。

今回お会いしたのは、山下健介さん。
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(株)リクルートマネジメントソリューションズで人材・組織開発コンサルティングのマネジャーとして活躍されています。

“育休計画書”を作成して上司と相談したという山下さん。
なぜ育休を取得したのか、実際とってみてどうだったのか、
取得の準備や育休中の失敗談など、リアルなお話を伺ってきました。

山下さんの育休データ

・家族構成:奥さん、息子さん(6歳)娘さん(3歳)
・奥さんのお仕事:製薬会社勤務
・取得期間:第二子誕生から3ヶ月間

 

家族との向き合い方を変えたことで見えてきた育休という選択肢

−育休をとられたのはいつですか?
娘が生まれた2014年5月〜7月、ちょうど100日くらいです。
一人目の時には育休なんて全然考えもしなかったです。
一人目が生まれた時には、僕も部署を異動したばかりで覚えなければいけない仕事が多く、
生まれる瞬間だけは立ち会いに行かせてもらいましたが、それ以外は全然育児にしっかり関われていなかった記憶があります。
一人目のときは異動後初めてのお客様に対する研修実施納品の当日に生まれて(笑)、お客様や一緒に働いている方々のご好意で何とか調整をして駆けつけたという感じでした。
異動したばかりだったこともありますが、周囲にとった方がいなかったので当時は育休なんて考えつかなかったですね。

−一人目が生まれてから二人目が生まれるまではどんな働き方、家族との関わり方をしていたんですか?
妻が1年間は育休を取っていたんですが、保育園に入った半年間は本当に大変でしたね。
僕は当時、保育園に子どもを送り、帰宅後に皿洗いをするだけ。
それ以外は何もしていなかったけれども、自分は育児も家事もやっているという気になっていました。
段々と妻の負担が大きくなっていったこともあり、よく喧嘩していた気がします。
一方で仕事も徐々に大きな案件にアサインしていただくようになってきたので、やりきらないとという思いもあり
「このままで続けていけるんだろうか」と半年くらい悩んでいました。
ですが、よくよく妻の話を聞いてみると「色々とやってほしい」というわけではなく、
「ここだけやってくれたら助かる」と言っていることがわかってきたんです。
例えば、妻は朝、夕飯の準備をして出かけるんですが、その間に子供の保育園の準備や朝食を食べさせるのを僕がやるとか。
そこだけやろうという約束をして初めてみたら、ちょっとずつ関係もよくなっていって
「これはたしかに大変だ」ということが体感的にわかったんです。
最初のうちは2人で頑張りましたがなかなか難しいということで、妻の両親が近くに住んでいたこともあり、
サポートに来てもらえる日を作ったり、徐々に妻の負担が減らせるようになっていきました。
ただ、僕は料理ができなかったので、完全には妻の代わりはできなかったんですよね。それさえできれば、休日に「ちょっと気分転換に外出してきていいよ」って言えるのに…とずっと思っていました。

−奥さんは何をされている方なんですか?
もともと製薬会社で外勤をしていて、子供ができてからは
内勤スタッフとして働いています。
大学時代は研究をしていたいわゆるリケジョ(理系女子)ですね。

−2人目ができた時は今回は育休を取りたいとすぐに思ったんですか?
思いましたね。
妻に何かあった時に代わりが担えないなと思ったんです。
家のどこに何が入っているかも知らないし、
生協をどのタイミングで何を発注しているかも知らないし、
予防接種のスケジュールとかも知らない…
これじゃまずいなと思いましたね。
あとは、長男とあまり関われていないと思っていたので、
このタイミングは長男としっかり信頼関係を築くチャンスだなと思ったんです。
2人目だから見る人も必要だしと。

 

“育休の先輩”の存在が大きかった

−それは2人目ができてから夫婦でそういう会話をしたんですか?

いえ、できる前からすでにしていましたね。
2人目がほしいねと話をしている段階で、
Twitter上で働き方に関するコミュニティを見つけました。
次に生まれたら育休を取りますってそこで宣言もしていたので、
すでに育休を取っていた他社の先輩に話を聞かせてもらっていたんです。

−育休を取ろうと思ったのは何でなんですか?
一番はやっぱり子供との時間は一瞬で過ぎていくなと思っていたこと。
僕は人生において家族との時間はなるべく大切にしたいなと思っていたので
1人目が生まれてからこのままで良いのかなとずっと思ってたんです。
そこで、過去に他社や会社で育休を取られていた先輩に話を聞いたりして情報収集しました。

−育休の先輩にはどんな話を聞いたんですか?
育休への入り方を中心に聞いていました。
職場で代替になる人がいないことへのケアが重要だから、早めに上司に意思を伝えておいた方がいいという話をもらいました。
実際に取得したのは2014年の5月からですが、半年前の2013年11月くらいには上司に話をしていました。
引き継ぎの計画も自分で立てて、上司に進捗共有、相談しながら作っていきました。
子供ができたとわかったのが9月か10月くらいなので、できて1ヶ月くらいで上司には伝えたという感じですね。
引き継ぎの計画も最初に話す時に大まかなものはすでに作ってあったんですが、
それをいきなりドンと出されても「お、おう」と戸惑うだろうと思ったので(笑)、
まずは気持ちを伝えるところから話をさせていただきました。

 

引き継ぎプラン資料化・収入のシミュレーションなど周到に準備

−最初に話した時の上司の方の反応はどうだったんですか?
「お話があります」と僕が切り出したのでどうやら辞めるって言い出すと思われたようで、
第一声では「驚いた」と言われました。
そのあと「これからはそういう働き方が必要になってくると思うし、良いと思うよ。」
「でも自分も経験したことがないし、わからないから一緒に考えよう。」と言ってもらえました。
そのお話をする前から僕は『2030年の働くを考える』という社内プロジェクトに参画していて、世の中の働き方の変化に興味がありました。それを職場でも話していたので、
「あいつならそういうことも言うかもな」と思われていたかもしれません。
上司から育休取得にOKが出たのは本当にうれしかったですね。
当時は妻の負担や自分の働き方を考えたときに、いまの生活を続けるのは難しいかもしれないと本気で思っていたので
ちょっと思いつめていたかもしれません。そんなに思いつめなくても、当たり前に選べるような世の中にはなってほしいなとは思いますね。

−育休のための引き継ぎ計画というのは具体的にはどんなものなんですか?
とある外資系企業で以前に育休を取られた方が、計画書を作ってフォーマットをブログで公開されていたんです。
それをベースに自分用に作り変えました。
育休での休み方も色々とあると思うんです。
長尾さん(3ヶ月の育休取得をきっかけに働き方改革!育休の年に全社表彰を受賞 - 100 × 1000)や

佐藤さん(育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる - 100 × 1000

のように引き継ぐというやり方もありますが、
僕は一度休んでまた同じ仕事・職場に戻ってくるという選択をしたので、どなたに何をどのように担っていただくかは丁寧に設計しました。
僕らのやっている仕事は、大きく分けると2つの工程があるんです。
一つ目は人材開発や組織変革に向けた企画設計の段階、そしてもう二つ目がそれを実行してモニタリングしていく段階。プロジェクト自体は社内外の専門家と協働しながら進めるので、工程によって役割分担のウエイトが違うんですね。当時進めていたプロジェクトでは、僕は前者の企画設計の役割の比重が高かったんです。ちょうど育休に入るタイミングでそのフェーズに区切りがつき、2つ目の実行・モニタリングフェーズにあたる案件が多かったということもあり、各案件ごとにスケジュールを調整していきました。。結果として、必要なものは他の方に引継ぎ、そうでないものは再度復帰後に私が担当させていただくという段取りをつけることができました。これは、担当していたお客様や協働している方の協力なしには出来なかったので、本当に恵まれていたなと思います。

先人がブログでサンプルを公開してくださっていたのも非常にありがたかったですね。
この準備期間中はとにかく生産性を意識していたので、ありがたいことに結果的に社内で表彰をしていただくこともできました。
やっぱり期限が決まると人は工夫するんだなという経験ができたのが大きかったですね。


−奥さんに最初に言ったのはいつだったんですか?
8月にTwitter上で『育休取ります宣言』をした後くらいに
「もし二人目ができたら育休を取ろうかと思ってる」という話はしていました。
いきなり本気のトーンで言っても「え…?」となってしまうと思ったので、
「どうせ嘘でしょ」みたいなやりとりをちょっとずつ重ねておくことも必要だろうと思っていたんです。
実際に上司に話す前にはもう一度ちゃんと「今度上司に話してくる」ということを伝えました。
その時は「本当に取るんだ」「そんなことして(キャリアは)大丈夫なの?」という反応でした。
「自分の経験自体がお客さんへの提案にも活きる仕事だから大丈夫だよ」ということを伝えて、わかってもらえました。そういえば、奥さんよりも実家の両親の方が「大丈夫なの」と心配していましたね。(笑)

−そのあたりの準備がすごく丁寧というか、周到な印象です。
たまたま周りに色々と情報があったということがラッキーだったと思います
あとは収入面でも人事の後輩が相談にのってくれて、2ヶ月なのか3ヶ月なのか、育休を使うのか有休を使った方が良いのか、
各パターンをシミュレーションしてもらって取得の仕方も決めました。
結果的には、最初の1ヶ月は有休にして、残り2ヶ月を育休として取得しました。
残りの有休数を見て、このパターンが復帰後に子供の病気など突発的に休みが必要になった時のために
有休をとっておける、且つ、収入面でのダメージが一番少なかったんです。

 

楽しい半径1キロ圏内の生活

−育休始まってみてからはどんな感じだったんですか?
5月のゴールデンウィークくらいが第二子の出産の予定日でした。
休みに入ってから約2週間くらいあったんですが、
それまでに妻のやっていることをある程度引き継ぎを受けておかねばと思っていました。
そうでないと長男との二人の時期が乗り切れないと。
初日はまず衣装ケースの引き出しに何が入っているか、どういう順番で入れるか、どういう時に使うものかを
教えてもらうというところから始まりました。
あとは最低限の料理の指導ですね。
奥さんからは「なんでその切り方をしたのか」とか指摘を受けてましたね。子供がニンジンの切り方が大きいと食べないとか、炒めるのにその切り方はありえない、とかです。確かにつくってみると、そのやり方通りにした方がおいしくできるのですが、ついつい反論してしまったりして最初はうまくいきませんでした。
佐藤さんから「新人なんだから自分の意見を主張する前に、まず全部奥さんの言うことを聞くんだ」とアドバイスをもらっていたんですが、ダメでしたね。新人失格です(笑)

−育休に入って生活が変わって、最初はどう感じられていましたか?
楽しかったですね。自分の知らない世界だったので。
新しいスキルが自分に身につく楽しさや、近所の公園でのコミュニティなどが新鮮で楽しかったんです。
育休中はほとんど半径1キロ以内で生活をしていたので、最後は電車に乗るのが怖くなっていましたね。
それから、普段よりも奥さんと一緒にいる時間が長いので、
普段はなかなかちゃんと背景まで聞けていなくて表面的なことで口論になることも
相手の話がちゃんと理解できるようになったのは良かったです。
「ああ、そういうことを考えていたんだ。アプローチは自分とは違うけど、言っていることはわかるわ。」
という風になれたのが良かったです。
最初はうまくいかなかった料理も次第に慣れてきて、最後の方は奥さんが起きてくる前に作り終えてしまっても
「おいしいね」と言ってもらえることが増えていました。結果としてですが、一人で黙々と料理しているのでやり方について揉めることもなくなり、お互いにとってよかったかもしれません(笑)。
あとは作るもの自体も変えていきました。
妻のレシピを真似ようと思うとあたりまえですが味が同じになってしまうので、
自分で新しいレシピを調べてきて作るようにしたんです。
そうすると、産後で外食がなかなかできない妻も家で新しいものが食べられるし、好評でした。


−育休中は奥さんも家にいらっしゃったと思いますが、家事育児は分担していたのか臨機応変にやっていたのか、どんな風にされていたんですか?
お休み中の食事は全部僕の担当でした。あとは長男の保育園の送り迎えですね。
奥さんには生まれた赤ちゃんの育児を全てやってもらって、長男との生活を僕がやっていたという感じですね。
あまり外に出たりしていなかったですね。週に1回、地域の集まりとか知り合いに誘われたものに行くくらい。
なので、やたら保育園のママや保育園の先生と仲良くなって、一日保育参加みたいなことも希望してやりましたね。
これはなかなか良い経験でした。
2〜3歳児は「本読んで」と言って本を持ってくるんですが、読んでる途中でもうどこかに行ってしまう。
それが何人も五月雨にやってくるので、1人1人丁寧に相手をしていると成り立たないということに気がつくんです。
頭で考えて対応するよりも、感じるままに対応していければ徐々にどう接すれば良いのかがわかってくる。

−なるほど、2人目が生まれてすぐだったからこそ必要なシェアのかたちだったのかもしれませんね。例えば、1人目で育休を取ろうと思っているんですという人から相談を受けたとして、その人にどんな風に取るメリットを伝えますか?
『父親になるためのスイッチ』を入れる期間として取ると良いんじゃない、と言うと思います。
奥さんが実家に帰ってしまっていると、奥さんの負担軽減と言う意味では成り立つと思いますが、
日々の小さな成長のプロセスを見ることはできなくなってしまう。
時間を共有するとか、その場にいるだけでも見えることがあると思うんです。
それがあった上で仕事に戻るのと全くそこが観れていないのとでは、その後の気の利き具合が違ってくるはず。
産後すぐだと育休を取っている期間中はパパにできることも少ないし、
期間中はひょっとしたら苦痛に感じることもあるかもしれないけど、後から考えると絶対に価値があると思います。
産後すぐなので、なるべく奥さんが動かなくて済むように家事側をやるのが良いでしょうね。でもそれも家庭によって違うかもしれないので、決めつけずに夫婦で話し合うのが大切な気がします。

 

育休を取ることで見えてきた世界

−やはり取得する時期によってその意味ややるべきことが違ってくるんですね。山下さん自身が育休を取られて良かったと思うことって何ですか?
まずは、料理を作れる自信がついたということはかなり大きいですね。
奥さんの代わりができるということだから。
それ以外でいうと、仕事以外の地域のことに目がいくようになったということですね。
公園に行った時に、ホームレスの人たちが社会復帰できるようにスポーツで支援をしている団体の方達に出会ったり、そういう普段は触れ合えない人たちと触れ合うことで、社会が見えてくる感覚を持てました。

−それは半径1キロという地域に視野が絞られたから見えてきたんですかね?
『生きている時間と場所』が変わったからだと思います。触れる情報が変わったから、思考回路が変わりました。
仕事ばっかりしている時には、家に帰っても仕事モードの頭になっている感覚だったんですが、そうじゃない自分というものを持つことができたんです。
『仕事上の役割でない素の自分』で物事を見ると見え方が変わってくる。
良い意味で空気を読まずに思ったことを言えるような場面も増えました
また仕事の日々に戻ったときに、いかにその感覚を持ち続けるかというのは今でも自分のテーマになっています。
お客様や協働者と話す時も、「仕事として」という関係から一歩踏み込んでその方がこの仕事で何を実現したいと思っているのかという、
パーソナルな価値観のところまで見て話すことができるようになったと思います。

−育休から戻った後の働き方は変わりましたか?
時間の使い方が変わりましたね。
育休から戻るときに家の中で二つ決めていたことがあって。
一つは平日に1日は必ず夕食を作ること。もう一つは週に3回、20時には家にいるということ。
これは数年間は続けていましたが、前者はいま出来ていないので、負荷をかけてしまっているなと思っています。
あとは、仕事だと、絶対に対面で会話をしなければいけないという前提を外したり、打ち合わせをなるべくまとめて移動が少なく済むようにしたり。
マネジャーとしても、メンバーに子供ができたら「いつ頃とるの?取った方が良いよ」と声をかけるようにしています。
その上で本人がどうするかは任せますが。
僕は必ずしもみんなが絶対育休をとった方が良いとは思っていないのですが、社内でとる人が増える、当たり前になることで選びやすくなるという意味では大切だなと思います。

本来は、時短勤務など毎日ちゃんと早く帰れるような働き方をすることも含めて選択肢があって、実際に選べるのがよい状態だと感じます。

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育休を取って触れ合う時間が増えると、実は仕事にも活きるような発見があると語る山下さん。
最後にこんな話をしてくれました。

家族に向き合っていると、どんどん仕事とプライベートの境界がなくなってくるような感覚があります。
「どちらかの時間がどちらかに取られている」という感覚だと時間がいくらあっても足りないんですが、
そんな風に行き来をしなくて良いように生きられると気持ちが健康になります。もちろん、いつもできているわけではないんですが、そうやって自分が捉え直すだけで、世界の見え方は変わりますよね。


これは僕も育休を取って捉え方が変わったところで、とても共感できるお話でした。
山下さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

パティシエ×フリーランスで描く新しいキャリアの在り方

#インタビュー #パティシエ #フリーランス #キャリア

 

自分らしく今を生きるvol.9 パティシエ堀田麻未

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

 

今回お会いしたのは、堀田麻未さん(23歳)。
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フリーランスのパティシエとは一体どんな働き方なのか、
なぜお店に所属しないという道を選んだのか、
その辺りに自分らしく生きるポイントがありそうですね。
まさにこれからの時代の生き方を実践され始めている堀田さんに
そのきっかけや今後の展望についてじっくり伺ってきました。

 

 

フリーランス×パティシエのきっかけは

−フリーランスのパティシエだと仰っていましたが、具体的にはどんなことをしているんですか?
お菓子のケータリング、イベントの運営、お菓子教室の3つをやっています。
元々イベントの運営を手伝わせていただくことになって、
それがきっかけでケータリングのお仕事も始めました。

屋号は「sweety」でゆくゆくは、株式会社にする予定です。

 

−いつからフリーランスとして動いているんですか?

一年前くらいからです。
元からそういう風に生きていこうと決めていたわけでは全くなく、
一度パティシエの見習いとしてお店に勤めて、そこを辞めてから色々な交流会に参加してたんですが、
そこであるカメラマンの方と出会ったのが大きかったと思います。
その方が運営メンバーとして関わっているイベントに呼んでいただき、
そこで料理のケータリングをオーダーしていたんですが、
「良かったらここでデザートを作ってくれないか」とオファーをいただいたのがきっかけです。
そんなことはやった経験がなかったですし、そもそも勤めていたお店でも
まだ下積みという段階だったので私で良いんですか⁉︎という気持ちでしたが、
その主催者の方から「良いよ良いよ好きなように作ってくれれば」と言っていただいたこともあって始めることになりました。

 

−色々なイベントに顔を出す中でそのカメラマンの方と出会ったというのが一つのターニングポイントになったんですか?
そうですね。未だにプロフィール写真を撮ってもらったりお付き合いを続けさせてもらっています。
その頃から「良いご縁が広がっていっているな」という感覚を持つようになりました。
この縁は直感的に無駄にしちゃいけないなと思ったんです。

 

−そのカメラマンの方と最初に会ってからどのくらいでフリーランスでいこうと決めたんですか?

最初にお会いしたのは独立する半年前くらいですね。
自分でも独立するなんて思ってもいなかったので、本当にびっくりです(笑)

 

就職先は一目惚れで決める

−その前は何をされていたんですか?
福岡の専門学校を卒業して、働きたいと思えるお店が東京にあった最初に就職したそのお店1店舗しかなかったんです。
お菓子屋さんはたくさんありますが、実際に見にいってみて
好きだと思えるところは本当にその1店舗しかありませんでした。
外観、内装、お菓子の味、全部が好きでした。
帰りにお店のガラスにスタッフを募集していると貼ってあったので、
そこで働くとすぐに決めました。

 

−素晴らしい意思決定スピードですね(笑)。他のお店はいくつくらい見たんですか?

15店舗くらい見ましたね。
もちろん美味しいお店はたくさんありましたが、
自分が働くというイメージができたのはそのお店だけでした。
フランスで見たお菓子屋さんが理想だったので、そのイメージに近かったというのが一番の理由かもしれません。

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−フランスに行っていたのは学生時代ですか?
15人限定で3ヶ月間留学に行けるというプログラムがあり、それを使って行きました。
そのプログラムがあったのでその学校に入ったんです。

 

お菓子の販売を始めた小学生

−そもそもなぜお菓子の世界を目指したんですか?
最初は小学校4年生の頃に出会った本がきっかけです。
図書室に「わかったさんの⚫︎⚫︎」というシリーズものの本が置いてあって、
最後にレシピが載っているので、自分でも作ってみようと思ったんです。
自分で作ってみて、親に食べてもらったら美味しいと言ってもらえたので
「お菓子作りって楽しい」と思い始めました。
実家が自分で牧場を経営しているんでですが、
お母さんがその中の精肉店でお菓子を売ったらどうかと言ってくれ、
毎週土曜に1個50円、12個限定で販売をさせてもらっていました。
600円は自分の手元に全て入るので、
それを使ってまたお菓子の材料を買いに行くというのが楽しかった。
完売するのも、お客さんに覚えてもらうのも嬉しかったのをよく覚えています。
毎日図書室に行って色々なレシピを自分のレシピ本にストックしていっていました。

 

−その販売はいつまでやっていたんですか?
小学校5年生でバスケを始める前までです。
そこからは忙しくなってしまい、毎週作るのはやめてしまいましたが、
誰かの誕生日とか歓迎会とかの時だけ夜通し作って持っていったりはしていました。
喜んでもらえるのが嬉しかったんでしょうね。

 

−小学生の頃から人に価値提供をするという原体験が堀田さんの今に繋がっているんですね。バスケはいつまでやっていたんですすか?
8年間、高校まではずっとやっていました。
その間も中学生頃まではずっとイベントの度にお菓子を作っていました。
レイトショーに中学生を連れていくような親だったので、
朝方4時頃までお菓子を作ってから部活に行っても特に怒られたりはしなかったです。
人生楽しいことをしようという親だったんです。

 

−高校までバスケに打ち込んで、進路を考えるときにはすぐにパティシエだと決めたんですか?
後々は実家がレストランを出店しようとしていたので、
管理栄養士の資格をとったら良いのではと親にアドバイスをもらって、
最初は4年制の大学に行く予定でした。
物凄い受験勉強もしていましたが、どこかでお菓子のことが頭から離れなくて
こういうお店にしたいとか、こういうメニューにしようとか
色んなことを妄想している自分に気がついたんです。
こんなにお菓子をやりたいのに4年制の大学に行くのは時間がもったいない、
そもそも親から言われて管理栄養士の資格を取ろうとしただけで
自分が本当にやりたいことではないと思うようになりました。
9月くらいに親に言いました。
「頑張って勉強しているんだけど、正直お菓子のことしか考えていない。だからここの専門学校に行かせてほしい。」
事前に調べていたので、福岡の中でもしっかりしていて、フランス留学ができるプログラムのあるところを親に提案しました。
10月にはもう合格してその学校に行くことが決まっていました。

 

−行動力とスピード感あるエピソードですね。勉強が苦手だったというわけではないってことですか?
むしろ勉強すること自体は楽しかったですね。
”完璧なノート”を先生と一緒に作ったりしていました

 

−“完璧なノート”って何ですか?
先生に言われた通りに過去問を解いて、間違えた箇所を訂正して、そこに自分なりの解釈を書き加えて提出するんです。
そこに先生の解釈を追加してもらって一緒に作っていくんです。
先生にもこれは凄いノートだぞと言われたりしていましたね(笑)。

 

−最初に専門学校に行くと言い出したときに親には何て言われたんですか?
特に否定はされなかったですね。
「本当にいいの?」と聞かれたくらいです。
実は高校の最初は専門に行く気満々で文系を選択していたんです。
途中で親から管理栄養士の話をしてもらってそっちに切り替えたので、
親としても突然の話というわけではなかったというのもあったと思います。

 

初めて“死”を意識した交通事故

−専門学校に入ったらやっぱり楽しかったんですか?

最初は本当にやる気満々でしたね。コンクールとかももう全部出してやろうと。
息巻いて入ったんですが、1ヶ月後くらいに交通事故に遭ってしまい脚を粉砕骨折して1ヶ月間入院をすることになってしまったんです。
出席できないのでどんどん置いていかれてしまい、留年か退学かという話も出てしまっていました。
もうお菓子の道はやめようかとも思っていたんですが、あと1日休んだらアウトという本当にギリギリで復帰することができたんです。
一人遅れているから、夏休みは毎週実技のテストを受けていました。
全部一発合格して、追いついてむしろ追い越すくらい頑張りました。
その事故で、自分が気をつけていても「あぁこういう風に死んでしまうこともあるんだ」と感じることができたのは大きかったと思います。
人はいつ死ぬかわかないし、いつまでも時間があると思っちゃいけないなと思いました。

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−専門に通っている途中にフランスに留学に行くんですよね?
はい、でも最初人数が足りなくて焦りました。笑
最小催行人数が10人だったんですが、希望者が7人しかいなくて。
結構な費用もかかるので、みんな興味はあるけどお金が…みたいな感じでした。
「これに行くためにこの学校に入ったのにヤバイ」と思いましたね。
なので色んな人に声をかけまくりました。
何とか10人集まったんですが、そのうち私のクラスが9人でした。笑

 

憧れのフランス、話せないけどこもらない

−その人を動かす力は凄いですね。向こうでは何をするんですか?
総合専門学校のパティスリー部門に入って、シェフから直接教えてもらえるんです。
フランス語は最初全然わからなかったですが、めちゃくちゃ楽しかったです。
作り方も材料すら全部が違って、焼く前からバターとかがめちゃくちゃ良い匂いがするんですよ。

 

−フランス語は勉強していったんですか?
「はじめまして、こんにちは、私の名前はまみです」しか言えなかったです。笑
本当に最初の1ヶ月はコミュニケーションが全然とれなかったですね。
ホームステイをさせてもらっていたんですが、
絶対に部屋にはこもらないようにしていました。
理解できないけどリビングに行って勉強したり、家族の会話を耳で聞いて愛想笑いしたり、
たまたまその家の子がジブリが好きだったので貸してもらって、それで覚えたりしました。
1ヶ月くらいでようやく今日学校で何をしてきたかくらいは言えるようになりましたが、
ちゃんと話せるようになるまでは2ヶ月くらいかかりました。

 

−じゃあお菓子の勉強もやっぱり全然何言ってるかわからなかったんですか?
いえ、お菓子はシェフの動きを見ているし、
もともとフランス語のまま使っている用語も多いので、そっちの方が理解は早かったです。
家でもお菓子の話になったら入れるという感じでしたね。
最後の1ヶ月は結構楽しくて、第二の家族みたいになれました。
子供たちがビズ(互いの頰を合わせるフランスの挨拶)を日本人相手にしたのは
5人来た中で私が初めてだったみたいです。
「あなたが来てくれて家族も明るくなって楽しかった」と言ってもらえたのは凄く嬉しかったですね。

 

今のベースを作ってくれた下積み時代

−最初に働いたお店はどのくらいの期間働いたんですか?
約2年間です。

 

−気にって入ってみてやっぱりここだったという感じだったんですか?
今思えばやっぱりあそこだったんだろうなと思いますが、
当時はもうちょっと周りもちゃんと見れば良かったと思っていました。
給料も聞かずに入りましたから。笑
初月の給料は13万ちょっとくらいでした。

 

−そこを辞めたきっかけは何だったんですか?
給料もそんな状態でしたが、1年目はとりあえず雇ってくれたシェフのためにと思ってやっていました。
でもなかなか後輩も入ってこず、しんどいなと思い始めていたんですが、
クリスマスの繁忙期を乗り越えるとやっぱりここでお菓子を作りたいな
という思いに立ち返ることができるんですよね。
でもまた年始からこっ酷く怒られて「ダメだ」みたいになる繰り返しでした。
私の年と同じくらいの経験があるシェフに直接教えてもらっている
感謝の気持ちで気持ちが繋がっていたんですが、
次に入ってくる予定だった方が研修途中で辞退をされてしまった後、
それが私のせいだという言い方をされてしまったことで糸が切れてしまったんです。
自分が頑張ってきた2年間は何だったんだろうと思いました。
シェフにはもちろん引き止められましたが、
もう気持ちが完全に離れてしまっていたので
最後は喧嘩別れみたいな感じになってしまいましたが、お店を後にすることになりました。

 

−その後はどうしていたんですか?
軽井沢にいた親戚の家に行かせてもらってしばらく引きこもったり
地元に帰って友達と会ったりしていました。
でもこのままじゃダメだなと思い、東京に帰って来て飲食店でアルバイトを始めました。
4ヶ月くらいは全くお菓子を作っていなかったです。

 

運命を切り開く出会い

−アルバイトを始めてからどのくらいで先ほどののカメラマンに出会うんですか?
2ヶ月くらいで始めて行ったフランスパーティーで出会います。
歌舞伎町の奥のホテルの地下のバーで「超怪しい…」みたいな感じのところでした。
目の前まで行ってあまりに怪しいから帰ろうかと思いましたが、
そこでその方に出会えたから、こういう風に繋がりを外に作りに行くのは良いかもしれないと思えたんです。

 

−なぜそのパーティに行こうと思ったんですか?
ワーキングホリデーでフランスにもう一回行きたいと思っていて、
もう半年後に行くという日程まで決まっていたので、フランス語を勉強しないとと思ったからです。
結局そのワーキングホリデーには行かずにフリーランスとして独立してしまったんですけど。
その後もそういったイベントに出向くようになって、楽しかったし交流関係は凄く広がりました。
その後に最初にお話しした交流会イベントに誘ってもらい、主催者の方に出会いました。
今までパティシエしかしていないので、こんな風に出会って仕事になることなんてあるんだと驚きました。

 

−フリーランスで生きてくというきっかけをくれたのは誰だったんですか?
そのイベントの主催者の方です。
「自分の良さを活かしていきなよ」と言ってもらったんです。
人当たりも悪くないし、友達を広げていくのも好きだし、そういう社交性がありながら
お菓子を作れるという手に職があるんだから活かしていったら良いじゃんと。
どういうことを自分がやっていきたいのかを言語化するサポートもしていただきましたね。
独立すると決めてからセミナーや講演会などにも足を運ぶようになって、
おじいちゃんもお父さんも経営者だし、自分もたぶん経営とかは好きなんだろうなと思い始めました。
それまではスキルをとにかく磨かないとと思っていましたが、
自分のお店を出すにしても経営者としての力がないといけないだろうと。
昔働いていたお店のシェフも、今思えばたぶんそこに困っていたんだと思います。
私よりもパティシエとしてのスキルを持っている人はたくさんいるので、
自分はそうではなく人を動かす力を身につけて、
スキルのある人と一緒に働いていくような、そんな生き方でも良いのかなと視点が少しずつ変わっていきました。

 

全国を回って地元の素材でお菓子を作りたい

−今後はどうしていこうと思っているんですか?

やっぱり海外に行きたいという思いもありますし、最近思っているのはキャンピングカーで全国を回るお菓子屋さんをやりたいなと。
『シェフ』という映画がありましたが、あれのお菓子版をやりたいんです。
現地の人と触れ合いながら、その土地のものを使ってお菓子を作って届けていく。
あとはやっぱり、地元に戻って自分のお店を持ちたいという思いもありますね。

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<まとめ>堀田さんの自分らしく生きるきっかけ

マドレーヌを自分でも作ってみようという行動、勉強していたけどやっぱり専門学校だという決断、自分の好きな店はここだという就職の決断。
思いついたら即行動していく突破力が堀田さんの人生を作っている大きな要素だと思います。
そしてもう一つはその周りに登場する人たち。
「販売してみたら」と言ってくれた母親、交流会で出会ったカメラマン、フリーランスへのきっかけを作ってくれたイベントの主催者の方。
23歳という若さながら、自分の生きていく、勝負していく道が見え始めているのは、
周囲の人からそこしずつ広げてもらった世界で挑戦をし続けているからこそなんだと思います。
これからの活躍が本当に楽しみになるインタビューでした。

 

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ

育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる

男の育休リアルストーリー第2弾。
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育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる - 100 × 1000
男の育休リアルストーリー Vol.2 自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。 取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。 その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!という二つの想いからインタビューを始めることにしました。 今回お会いしたのは、佐藤雄佑さん。 リクルートキャリアを卒業さ…
yutakaka.hatenablog.com
リクルートを卒業され、現在はご自身の会社を経営しながら、事業構想大学、ファザーリングジャパンなど多岐に渡って活躍される佐藤 雄佑さんにお話を伺ってきましまた。
今回もかなり「リアル」に切り込んで、答えていただいているので読み応えあるんじゃないかと思います。

佐藤さん、貴重なお話ありがとうございました!

育休経験はその後何十年もの人生への「投資」になる

男の育休リアルストーリー Vol.2

自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。

取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。


その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。


今回お会いしたのは、佐藤雄佑さん。
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リクルートキャリアを卒業され、株式会社ミライフ/未来の働き方を提案する未来志向コンサルティング会社の代表取締役として活躍されています。


育休は国民の義務にすべきだと語る佐藤さん。
育休にどんな想いがあったのか、実際とってみてどうだったのか、取得の仕方や育休中の失敗談など、リアルなお話を伺ってきました。

 

佐藤さんの育休データ

・家族構成:奥さんと娘さんお一人(現在4歳)
・奥さんのお仕事:薬の研究開発(統計解析)
・取得期間:娘さんの誕生後6ヶ月の時に約半年間取得

 

20冊もの育児本のインプットから導き出した答えが育休

−育休を取られたのはいつだったんですか?
2012年の10月1日にリクルートホールディングスができて、各事業会社が分社化されました。
その中のリクルートキャリアという会社の人事制度を作るのが人事GMとしての当時の僕の仕事でした。
その10月1日に向けて約1年間かけてずっと統合の仕事をしていました。
それがようやくカットオーバーした同じ月、10月24日に娘が生まれます。
1ヶ月前だったら本当にピークだったので、立会いもできなかったかもしれないです。
そう思うと本当によくできた子ですね。笑
最初病院にいて、その後奥さんは東京にある実家に帰りました。
3週間くらいで家に戻ってきた奥さんに「育休を取ります」ということを伝えました。

それが11月の中盤で、実際に取得したのはそこから半年後の翌年4月後半から9月末までです。
子供の年で言うと6ヶ月から1歳までの約半年です。

−育休を取ろうと決めたのは何でだったんですか?
「自分の人生で後悔するとしたらこれしかない」と思ったからです。
ただ、元々育休取るって決めていたわけではないんです。
奥さんが実家に帰っている3週間で、
ファザーリングジャパン代表の安藤さんの本含め、
20冊くらい教育や育児に関する本を読み漁りました。
一気にインプットをして、自分は今後どうあるべきかを考えていました。
そこで辿り着いた結論です。
仕事はこれまでも頑張ってやってきたし、いつか独立をしようと決めていたので
これからいくらでも仕事はやるだろうなと思っていました。
第一子で生まれてすぐにそういう風に思える男性は少ないかもしれませんが、
子供と向き合うのはこのタイミングしかないんだなと
本を読んでいる中で気づけたことは大きかったですね。

−どんな本を読んだんですか?
色んなバリエーションの本を読みましたよ。
著者もなるべく変え、物凄く分厚い小難しい本から、
モンテッソーリ教育の本とか、育児の本とか。
当時は男性育休に関する本ではファザーリングジャパン安藤さんの本が一番刺刺さりましたね。

−育休を取得することをキャリアロスになるとは思ったことはないですか?
思わないですね。人事をずっとやっていたので、色んなリスクを考えましたが、
ただ半年間異動して帰ってきただけ、出向して帰ってきただけ、と同じだと思います。
自分が人事のことに詳しすぎて、ロスになる理由がわかりませんと思っていましたね。笑

男女に分かれる周囲の反応、妻は喜ばず

−育休を取得するって知った時の会社の人の反応はどんな感じだったんですか?

男の人と女の人で完全に2パターンに分かれましたね。
男の人は「何で?」って聞きます。
女の人は「いいね」って言います。
男性は理由をめちゃめちゃ聞いてきますね。
何か取らざるを得ない理由があるんじゃないかと。
奥さんの体調が悪いとか、子供が病気なのか、とか。
女性は理由を聞かないですね。奥さん良いねって言われるだけですね。

−奥さんは妊娠前、仕事をされていたんですか?
薬剤師で薬の開発や統計解析などスペシャリストとしてバリバリ働いていました。

−育休取るよって言った時、奥さんはどんな反応だったんですか?
「え、何で」でした。
もっと嬉しいとかありがとうとか言ってもらえるかなと思ってたんですが、
そんなことは全く言ってもらえず「え、何で」です。笑
そして二言目は「誰のため?」でした。
こちらがウッてなっている間に
「私のためとか子供のためとか思っているんだったら取らないで。自分のためだって思えるんだったら取っても良いんじゃない」と言われました。

−凄い詰め方ですね(笑) 僕も全く同じようなことを奥さんに言われました。
自分のためだよという話をして、じゃ良いんじゃないってなった感じです。
でも、そこから育休を実際に取得するまでの間も奥さんはずっと否定的でしたね。

−それはどうしてだと思いますか?
それまで僕は家のことを本当に何もやってなかったんですよ。
ポンコツなんですよ。
ポンコツが家に1台いられても邪魔なんですよ。イラつきますしね。
だったら、家にいないで稼いできてよというのが奥さんの本音だったと思います。

“アルバイト”として妻のスキルを完コピ

−奥さんはいつまでそう思っていたんですかね?
育休を取り始めて1ヶ月くらい経つまでじゃないですかね。
最初僕があまりに家のことができないから
「育休とった意味ないな」と奥さんに思われていたと思います。
僕も「なんでこんな毎日カリカリしてるんだろ」と思ってました。

−そこはどう変えていったんですか?
1か月くらい経った頃「アルバイト入社させてほしい」と頼んだんです。
家のことをやろうにも、やり方が全然わからないから
新人のアルバイトだと思ってイチから全部教えてほしいと。
まずはその通りに全部やってみるから教えてくださいって頼みました。
どういう風にしてほしいか要望を出してほしいと。
最初は「えー」と言っていましたが、
教えてもらった通りコピーするからできるようになりますよね。
そこからは奥さんもあんまりカリカリしなくなったと思いますね。
なので、今となっては取って良かったと思ってくれていると思いますが、
取る前や最初の頃は「この人本当に役立つんだろうか、むしろ邪魔なんじゃないか」
という不信感があったと思いますね。

−なぜアルバイト入社しようと思えたんですか?
最初のスタンスが間違っていたということに気付いたんです。
最初、育休をとったら時間が無限にあると思っていたんですよ。
勉強もしたいし、本も読みたいし、ブログも書きたいし、もちろん育児もしたいし、
家事もして、普段は会えない人と会うとか、セミナー行くとか、
それをどうやって全部やるかということばっかり考えていた1か月でした。
でも結局両立どころか何もできていないなと気づき、
しかも奥さんもカリカリしているしと。
それでもう一回「あれ何で育休取ったんだっけ」と思い返したんです。
期間限定で育休を取っているのに、これじゃあ意味ないなと思ったので、
とにかく育児家事にどっぷり浸かって、それで仮に余った時間があれば
他のことをやろうと決めました。
そこに気づくのに1か月くらいかかりましたね。

−1か月間のカリカリの理由は奥さんに聞いたりもしたんですか?
聞きましたよ。でも教えてくれないんですよ。
「なんでそんな怒ってんの」「いや別に」という感じで直接教えてくれたわけではないんです。
彼女も当時は「この人にお願いするくらいなら自分でやった方が早い」というスタンスだったと思います。

−アルバイトからっていうのは誰かにアドバイスをもらったりして考えたんですか?
いやそういうわけではないですね。
会社に置き換えて考えると若手の育成とかもしたりしますが、
家においての自分ってその次元じゃないなと思ったんです。
だって何もできないわけですから。
それってもう入ってきたばっかりのアルバイトだよなと思って、そういう表現を使ったんです。
なので、自分で思った言葉ですね。

−最初の1ヶ月を終えて家事育児を優先順位のトップに変えてから毎日どんな生活をしていたんですか?
最初はこれはこっち、これは奥さんとかって決めた方が良いかなと思っていたんです。
料理も朝昼は僕で、夜は奥さんみたいに分けようと思っていました。
で、奥さんにどうしたら楽になるか、やりやすいかをストレートに聞いたんです。
そうしたら「とにかく子供を見ていてほしい」と言われました。
ご飯は?と聞いたら「私作るの好きだからやらなくて良い」と。
それは面白かったですね、聞かないと絶対にわからないことでした。
奥さんは家事をやるのが嫌いじゃないから、家事をシェアしてやってほしいというよりは、
とにかく子供に張り付いていてくれれば心置き無く家事ができるから嬉しいと思っていたんです。
なので二人でいるときは、家事を奥さんがやり、育児の方を僕がやるという感じでしたね。
これは聞いて良かったですね。

−これはいつ聞いたんですか?
アルバイト勤務期間が終わって一通りできるようになってからなので、育休1ヶ月半〜2ヶ月くらいの時ですね。
それまでは料理も「今回は作らせてほしい」と頼んでやらせてもらったりしていました。
全部の家事育児の奥さんのこだわりまで完コピしたので、出来るっちゃ出来るんですが、
この話をしてからは、無理に仕事を取りにいくようなことはしなくなりましたね。

人事を知り尽くしていたからこその「半年」

−半年間という期間はどうやって決めたんですか?
自分が人事の責任者をやっていて、マネージャーは半期で動かすとわかっているので
中途半端に戻ってこられても置くところがないんですよ。笑
目標も半期で持つので、まるまるいなければ都合が良い。
人事想いでしょ。笑
なので、4月に新しく人事の後任もつけるけれども、
前期の査定会議や引き継ぎも全部終了した20日頃から育休に入りますと
11月に上司に言う時にプランニングを提出しました。

−実際に取得されたのは6ヶ月から1歳までの間でしたが、その月齢でとって良かったなと思いますか?
育休を取得される方で多いパターンは生まれてすぐですよね。
でもここはうちにとっては実家に帰れたし、正直荷物持ちくらいしかできない。
おっぱい含めてママにしかできないことが多いから、
家事をこちらがやり、奥さんが育児に専念するというフォーメーションですよね。
それもアリだと思いますが、里帰りという代替案がある時期なので
そこに頼れる場合は頼るのも一つの手かもしれません。
もちろん、両親のサポートが得ずらい状況であれば
生まれてすぐに取得した方が良いとは思います。
6ヶ月くらいになってから1歳までは、離乳食が始まり、動き出す時期。
どんどん人間になっていくじゃないですか。
僕が育児側を担当できたのはそういう時期だったからなんですよね。
前半にとっていたら、もっと育児でできることは少なかったんじゃないかなと思います。
こどもの成長を間近で見られたので、幸せではありましたね。
トマトを始めて食べた時の「酸っぱ!」みたいな顔を見られたりとか、本当良い思い出ですよ。
そういう「初〇〇」をたくさん見られるという意味では後半はオススメですね。

家事育児にも「守破離」を

−育休中にしんどいなと思ったのは最初の1ヶ月くらいですか?
そうですね。アルバイトからやるんだと決めてからは楽でしたね。
指示命令をもらえるので、とにかくそれに忠実にやるだけ。
ただ、途中から少し”ルール”を変えました。

−どういうことですか?
これは”言われる前に”やらなければ絶対に相手の満足を得られないなと気付いたんです。
それに気付いてからはなるべく言われる前に先回りをするように心がけたので、
お互いに良い感じになれたかなと思います。

−家事育児ができるようになって飽きることはなかったんですか?
ないですね。
とにかく「言われる前にやる」ということをいかにやり続けるかという風に
ゲームのルールを変更したからです。
「あれ、もうこれやってあんじゃん」という状態をいかに作るかに心血を注いでいまたね。

−それはちゃんと完コピした後だったからできたことですよね。僕は先に「先わまりしたい」という方に走ってしまい失敗しました。
それは人材育成をやっていたからわかっていたのかもしれません。
「守破離」だと。
だからまずはコピーできるようにして、
そこから相手の期待を超える動きをするようにするという順番を守らないと
失敗するかもしれませんね。


−アルバイトからやると決めてからは何か目標みたいなものって立てていたんですか?
この期間は家事育児だけやろう、向き合おうということだけですね。
最初の1ヶ月はなんとか時間を作り出して、外に出て人と会ったり、
勉強したり本を読んだりしたけれども、それをパッタリやめました。
そういう風に「能動的に自分の時間を作り出す」ということをやめたんです。
飲みにいこうとかもこっちからは絶対言い出さない、全て受け身にしました。
僕はリクルートの人なので「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」で
生きてきましたし、能動的に時間をやり繰りすれば絶対両立できる!
って思っちゃう人なんですけど、その考え方を修正しましたね。
この期間は家族と向き合うと決めたから、他のことは後でもいくらでもできるだろうと。

後に続く人を作りたいと書き続けたブログ

−ブログを書いていらっしゃったと仰っていましたが、何故書こうと思ったんですか?
爪痕を残すためです。前例として取っている人がほとんどいなかったので、
こういうレアケースをみなさんに配信していきたいと思った。
僕とFacebookが繋がっていたら嫌でもタイムラインに出てくるわけですよ。
それを自分でいやらしいなとも思いましたが、まぁ書くと決めて書いていたという感じですね。

−半年間ずっと書き続けたんですか?
半年間1日も「書かれていない日」はないです。
ですが、毎日書いているわけではないです。

−どういうことですか?
例えば「育休最終日」というこのブログは2013年9月30日のことを書いているんですが、
投稿日は2014年4月14日になっています。
時間がないので毎日起こったことをその日にブログにしていくわけにもいかなかったので、その日起こったことは手帳に手書きで毎日残しておいていました。
それを約半年遅れながらも復帰しても書き続けていたんです。

−そのやり続ける力は凄いですね。書けずに溜まっていくストレスみたいなものはなかったんですか?
みんなは今日の僕のことが今日知りたいわけではなく、
育休中ってどんな感じなのかその日常が知りたいんだろうなと思っていました。
なので、今日書くというタイムリー性よりも1日も欠かさないということの方を
重要視して続けていました。
みなさん失敗すると笑ってもくれ、「いいね」もくれ、
コミュニケーションとしても楽しかったんです。
後輩の長尾君はじめ、すでにリクルートキャリアでも多くの男性が育休を取ってくれたのは
こういう啓蒙活動をずっとしていたことが繋がった結果なのかなと思います。
やっぱり書いててよかったですよ。

あとこれは余談ですが、男性育児とか働き方改革という文脈で講演などさせていただくこともありますが、
初めから狙っていたわけではないですが、いつか独立するということは決めていたので、
このレアケースを残して置くということが一種のアピールになるかもしれない
という気持ちも少しはありましたね。
もしかしたら本書けるんじゃないかとかね。笑

−いつ書いていたんですか?
朝か、夜か、ですね。
朝もこどもや奥さんが起きてきたら止める。
夜も二人が寝てから書く。
僕は隣で子供がギャンギャン泣いていても全く起きなかったので…
夜中に起きてケアすることは全く期待してないと言われていました。笑
その代わり、日中奥さんには昼寝して良いよと言っていて
その方がありがたいとも言われていました。

1日に書くのは1話ということも決めましたね。
最初は早く追いつきたいから1日に何件も書こうとか思ってやっていましたが、
そんなことしてこれは面白いんだろうかと思ってしまってやめました。
1日1話で、その代わりいくら遅れていっても構わないというルールを自分の中で決めてやっていました。

−復帰しても半年も書き続けるってかなり大変だと思うんですが、どうして続けられたんですか?
もちろん自分で書くと決めたからということもありますが、
面白いと言って待っててくれる人もいたし、反響があったから続けられたと思いますね。
会社の人だけじゃなくて結構遠くにいる人方もコメントをもらったりしていたので、
ありがたかったです。
印象に残った日だけ書くという人もいると思いますが、
「今日こどもとディズニーランドに行ってきました」とかだけ書いていると
格好つけちゃうと思うんですよ。
今日ゲロ吐いて逆噴射でこぼしまくったとか、
うんちのついた服を必死で洗っている自分とか、
そういう日常が面白いんじゃないかということに書いていて気づきましたね。

−今は男性育児のことで講演をされることも多いと思いますが、男性育休はみんな取った方が良いと思われますか?
男性育休は国民の義務にすべきだと思いますね。
色んな観点から見てそうだと思います。
日本が強くなる、採用難、ビジネスでもっと成果を出す、全てにおいて
女性にもっと活躍してもらいたいということは明らかなわけですよ。
本当に女性が活躍するようにするためには、男性が家に帰るしかないんです。
だから義務になってくれたら、女性社員がもっと活躍できるのにと思いますね。
男性にとってもその方が人生が豊かになると思いますしね。
幸福度という観点でも、家族に向き合うと日本人がもっと増えてほしいです。




佐藤さんの存在があったからこそ、前回インタビューさせていただいた長尾さんも
育休を取る決断ができたんだと思います。
現在はNPO法人ファザーリングジャパンでも活躍され、
現在まで続くリクルートキャリアの男性育休文化を切り拓いた佐藤さん。
「育休を取らない理由がない」と力強く言い切っていました。

佐藤さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

次回は同じリクルート系列でも別会社のパパさんにお話を伺ってきますよ!

「高校生の時からファイナンシャルプランナーになりたいと思っていました」

#起業 #ファイナンシャルプランナー #お金

 

自分らしく今を生きるvol.8 ファイナンシャルプランナー町田萌

 

こんにちは。

『自分らしく今を生きる』では普通の会社員である僕が
心から「素敵な生き方をしている」と感じた人たちに出会い、
その生き方に至るまでにどんなことを考え、どんな行動をしてきたのか聞いたお話を
僕と同じく『普通の○○なあなた』にご紹介していきます。

今回お会いしたのは、町田萌さん。
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お金のよろず相談「ファイナンシャルプランナー」

−今やっているのはどんなお仕事なんですか?
ファイナンシャルプランナー(以下FP)というお仕事をしています。
個人のライフプランを作るお手伝いをし、将来のお金の不安を取り除くのが仕事です。
その過程で、保健の見直しや住宅ローンの組み方なども合わせて解決します。
税金や法関係など、必要な専門家にお繋ぎするお金の総合窓口みたいな位置付けになります。

 

−このFPサテライトという会社をご主人と一緒にやっているんですか?
正確には今は個人事業主です。来年には法人化したいなと思っています。

 

−いつからやられているんですか?
去年の11月から始めました。

 

−FPの組織などもある中で、なぜ個人でやっていくことにしたんですか?
組織に属してしまうと、フラットに資金相談に乗ることができないからです。
実際にはほとんどのFPが保険を売るということを仕事にしているので、
逆にいうとその保険が売れないと仕事にならないんです。
なので独立してやっていこうと決めました。

 

−ならほど。独立する11月までは何をされていたんですか?
10月までは前職を辞めて、失業保険をもらいながら、宅建の試験の勉強をしていました。
その前は1年間ほど税理士法人に勤めていました。

 

−税理士法人に勤めようと思ったのは何でですか?
もとから独立するつもりで動いていたので、経営のことを学びたいという気持ちが一つ、
もう一つは税金のことが学べるからです。
正社員という働き方を経験しておきたいという目的もありました。

 

高校生の時から決めていた

−いつからFPやりたいと決めていたんですか?
高校三年時です。

 

−早いですね!何でですか?
部活の活発な学校だったんですが、私は吹奏楽をずっとやっていました。
ですが、部活がきつすぎて一時期鬱になりかけた時期があったんです。
それまでは音楽で生きていけたら良いなと漠然と思っていたんですが、
私には無理だろうとそこで思ってしまったんです。
どうしようかと悩んでいたんですが、
通っていたのが商業科で、簿記の勉強は好きだったんです。
それを生かせる仕事って何だろうと思って色々と調べていく中で
辿り着いたのがFPでした。
面白そうな仕事だなと思って「よし、私はこれになろう」と決めたんです。

 

−FPの資格を取ったのはいつなんですか?
大学二年の頃までに3級も2級も取りました。

 

−組織で働くことと個人で今のように働くのは出来ることがどう違うんですか?
お金に関する相談ってほんとに多岐に渡るんです。
ライフプラン相談もあれば、住宅購入、保険の見直し、
相続、キャリアチェンジ、節税などなど。
保険会社に勤めたら保険を売るのが仕事になるし、
不動産なら不動産を売るのが仕事になりますよね。
そういった出口ありきの相談ではなく、
その人の状況に合わせて提案をしていきたいんです。
アメリカだと大手のFP組織というものがあって、
同じようなことが会社勤めでも出来るんですが、日本は遅れているんです。

 

−この仕事の何に惹かれたんですか?
お金のことを幅広く学べるということです。
ライフプランニング、税金、保険、不動産、相続、金融商品など。
これをちゃんと学べば、自分はもちろん必ず誰かの役に立てるだろうという想いがありました。

 

−ライフプランニングの結果、様々な業種の方を紹介すると思うんですが、そういう紹介先の繋がりはどうやって増やしていくんですか?
多いのは紹介ですね。あとは交流会に参加して出会ったりなどですね。

 

−会社員をやっていれば定期的にお金が入ってくる中、一人でやっていく決断をする時には不安はなかったんですか
どうにでもなるだろうと思っていましたね。稼げなくなったらバイトでも何でもすれば良いと。

 

−他にも可能性があるかもとはあまり思わず、高校生の時からずっとFPで生きていこうと貫けているのは何でなんですか?
鬱になりかけた時に、自分には何もできない、自分は何も向いていないと思っていたので、
一度興味を持てたFPに関しては、とにかく「向いている人にこれからなっていけば良いじゃん」という思いでやってきましたね。

 

−その鬱になりかけたというのは何歳くらいだったんですか?
17歳くらいの時ですね。部活が厳しい学校で吹奏楽部に入っていましたが、
先生にも先輩にも怒られ、本当に自分は何もできないと思っていました。
中学で全国大会クラスの子がゴロゴロいる部活だったんですが、
私は全然無名のところからここで頑張ろうと思って入っていたので
スタート地点が全然違ったんです。

 

−何も向いてないと思うところから、普通は向いていないからやめておこうと逃げると思うんですが、どうしてFPになろうと向かっていくことができたんですか?
そんなに頑張らなくて良いかもなと思えたことが大きかったですね。

 

お金について学べる学校を作りたい

−今後のビジョンは何かあるんですか?
FPという仕事の認知度をもっと上げたいと思っています。
東京ではそこそこ認知されてますが、地方に行くとまず知らない方ばかりです。
保険は保険は販売のおばちゃんから買う、みたいなスタイルが未だに地方では主流だったりします。
自分たちの事業が少し落ち着いてきたら、金融リテラシーを高めるための学校みたいなところを作りたいと思っています。

 

−FPとしてどんな人の力になりたいと思っているんですか?
現在のFPは割と年収の高い層をターゲットに仕事をされている方が多いので、
もっと多くの人の力になりたいなと思います。
もちろんそういう方の方がこちらのビジネスとして安定はしますが、
平均年収くらいの家庭でも、FPの力を使ってお手伝いできることはたくさんあるので。

 


「保険を売ってしまうと、加盟店の手数料キャンペーンがあったり、その人に必要ないと思っても保険を売らないと仕事にならなかったりするので、
私たちはそこには手を出さずに中立的な立場でアドバイスができるよう頑張っています。」
と語る町田さん。
フラットに提案をしてくれるのはユーザーにとって本当にありがたいサービスです。
今の事業を成功させて、学校事業や地方移住のサポートなどへ展開していく画を描いているそうです。
なかなか自分のやりたいことを絞り込めない人が多い中、
高校生の頃からなると決めた仕事をしている人は少ないですよね。
意志を持って人生を選択している人の強さを感じるインタビューでした。

 

FPサテライトHP

FPサテライト

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。 いつかあなたの『自分らしく今を生きる』お話も、ぜひ聞かせてください。
 


かわだ

男の育休リアルストーリー Vol.1

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育休を3ヶ月とりながら、リクルート全社表彰TOPGUNを受賞された長尾さん。
家族ファーストな素敵パパでした!
3ヶ月の育休取得をきっかけに働き方改革!育休の年に全社表彰を受賞 - 100 × 1000
男の育休リアルストーリー Vol.1 自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。 取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!という二つの想いからインタビューを始めることにしました。 今回お会いしたのは、長尾悠さんリクルートキャリアでHRソリューシ…
yutakaka.hatenablog.com
↑今後、こちらに移行して継続していく予定です。

3ヶ月の育休取得をきっかけに働き方改革!育休の年に全社表彰を受賞

男の育休リアルストーリー Vol.1

 自身の育休取得経験から、政府の掲げる「2020年までに男性育休取得率13%」に
0.00001%でも貢献したいと勝手に思い立ち、この企画を始めます。

取得したのはたった1ヶ月でしたが、それでも僕にとっての育休は
「育休は男性の研修制度の一つになれば良いのに」と思うくらい貴重な経験でした。
その「リアル」を1人でも多くの人に届けたい、
男性の育休取得率たった3%(女性は82%…!)時代に
自らの意思で育休をとった変な(素敵な)人にたくさん会いたい!
という二つの想いからインタビューを始めることにしました。

今回お会いしたのは、長尾悠さん
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リクルートキャリアでHRソリューションプランナーを務められています。
育休にどんな想いがあったのか、実際とってみてどうだったのか、
失敗談や取得後の働き方など、リアルなお話を伺ってきました。

 


長尾さんの育休データ

・家族構成:奥さんと息子さんお二人(現在6歳、3歳)
・奥さんのお仕事:同社の営業職
・取得期間:第二子誕生後11ヶ月の時に3ヶ月間取得

 

なぜ育休を取ったのか

−なぜ第一子の時には考えなかった育休を第二子で取ろうと思ったんですか?

一人目の時は、無茶苦茶仕事が苦しかったんです。

上手く成果も出ないし、働いている時間も長くて家族とも会えない。
育休なんて考える余裕がなかったんだと思います。
こんな風に働いていても意味ないなと思い「もう転職しよう」と
転職活動もしたりしていました。
活動してみた結果、なかなか条件が折り合わずに転職することは断念しましたが
その後も「本当は家族ともっといたいのに」「仕事も相変わらず大変だし成果が出ない」
という思いが燻っていたんです。
その時に上司が凄く面倒を見てくださっていて、何度も何度も話をしてくれました。
一緒に時間をかけて整理しったんです。
何度も時間をかけて話していく中で、
”お前は家族が一番大事なんだろ。仕事よりそっちの方が大事なんだよな。
それはわかる。
一方でその家族と幸せに暮らしていくにはちゃんと稼がないといけないよな。
転職をしようと思っても、今と同等以上の対価で一緒にやりたいと思ってもらえる人になっていないと、家族を幸せにできないんじゃない?”
と言われたんです。

「なるほどな」と思いました。

”だったら、自分がビジネススキルを上げて成果を出せるようになることで
必然的に早く帰れるようにもなるじゃん” と。

−リクルートっぽい優秀なマネージャーさんですね。

そうですね、それで結構自分は納得ができたんです。
それが一人目と二人目の間にあった出来事でした。
それから仕事もだんだん上手く回るようになってきていたので、
二人目が生まれる時には何となくそういうの(育休取得)もありかなと思えるようになっていましたね。
二人目が生まれてすぐくらいに育休を取ろうと決めました。


−二人目のお子さんが生まれたのって2013年の年末って言ってましたよね。その時って世の中的に「男性が育休を取る」ことに対してどんな雰囲気だったんですか?

全然周りにもいなかったですね。
後から聞いたんですが、僕がとった時には、直近3年間でリクルート全体の5人しか取得し
た人がいないくらいでした。
リクルートキャリアという会社で見ると、僕の前にお一人取得されている方がいましたが、
その前は17年前に男性の育休取得者がいるのみ、でした。

 

後押ししてくれた先輩の存在

−え、むしろその17年前の方先進的すぎますね。笑

えぇ、育休男性の間ではレジェンドと呼ばれています笑
僕が取得した後は、何人か取得する人が出てきましたね。

 

−育休を取ろうと思った一番の理由はなんだったんですか?

一番の理由は”今しか出来ないから”ですね。
子供の1歳の誕生日までしかとれないですし、
管理職じゃないから取りやすいよなとか、そんなことを考えていましたね。
限定物が好きなんですよ。笑
決定打はさっきの育休取得の先輩から言われたことですかね。
「育休は数ヶ月でしょ。働いたり、家族と一緒に過ごすのは30年とか40年とかあるんだよ。そんなのに比べたら、ここ仕事してようが休んでようがどうでも良いでしょ。」
と。そして、
「育休を取ったら、その時の経験が向こう何十年とずっと活きてくるんだから、そんなの取る方が良いに決まってんじゃん。」
と。
確かになと思いましたよ。


−なるほど。やっぱり先人がいた方が間違いなく取りやすいですよね。

そうですね。相談を受けたりすることも多いです。
そうすると、僕と前に取得された方ともう一人のリクルートでの取得者と
「3人の経験者と一緒に飲もう」という企画をよく立てます。

−長尾さんも取得前に相談したりしたんですか?

はい、僕の場合はいよいよ来月から育休に入りますというタイミングで、
まさにその3人で飲んだんです。
で、その時に「育休中にこんなことやろうと思ってるんすよー!」
みたいに無邪気に話していたら
「いや、それマジ誰も喜ばないからやめた方が良いよ」って言われました。笑

−そういうリアルな場は凄い大事ですよね。何をしようと思ってたんですか?笑

考え抜いた末に思いついたのが「家族みんなでキャンピングカーで旅行だ」という計画だったんです。笑
無茶苦茶調べて「4人で乗ってアテもなく回ろうと思います!」ってテンション上がって話したら、
「そんなん絶対奥さん嫌がるよ。子供も小さいのに衛生面気になるでしょ。
そもそもそのくらいの子供は車乗っててもつまんねーから。」とバッサリ。笑

 

意外だった周囲の反応

−育休を取るって決めた時、奥さんには最初何て言われたんですか?
まず疑われました。
「どうせ取らないでしょ」と。
「ポジショントークでしょう」と。笑
それまでも「今日は早く帰れそう」って言って結局遅いみたいなことを
繰り返していたので、信頼残高がゼロだったんですよね。
だから結局取れないんでしょと思われていました。
「もう部長にも言っていて、後釜も用意してもらっているから大丈夫だよ」
とかっていう話を少しずつしていく中で、「あ、本当に取るんだ」と思ってもらえた感じですね。

 

−社内での声はどうだったんですか?

これが意外だったんですが、ネガティブなことは一回も言われたことがないですね。
ビックリしました。
相談に乗ってくれた上司は既に異動してしまっていましたが、
同時のマネージャーも部長もお子さんがいらっしゃる方だったので、
話をした時には上司としてというよりも子供の親として
「どんな感じだったか教えてよ。俺はもう取れないから羨ましいわ」って言われました。

 

なぜ3ヶ月だったのか

−どのくらいの期間取得したんでしたっけ?

11月~1月まで3ヶ月です。
2013年の冬に言いだして、本当は翌年の夏頃に取りたかったんですが、
その前の4月で部長が変わったんです。
てっきり育休の話も引き継がれてアサインも考えていただけるのかと思っていたら、
これが全然初耳みたいな感じだったんです。笑
当時は大手チームにいたので、担当クライアントが少なく、
1社1社と太い繋がりを構築して仕事を進めていくという仕事を任されていました。
担当を他に変えるということが出来ず、10月の人事で調整をしていただき、
夏ではなく冬に取得することになったんです。

−何で3ヶ月だったんですか?

仕事にとっても家庭にとっても一番ちょうど良いかなと思ったんです。
目標を四半期で持って、大きな計目を半期で持つという動き方をするので、
それを踏まえると3ヶ月まるまるいない方が都合が良いんじゃないかと。
先輩は半年近くとっていましたが、さすがにそれは長いかなと思っていたので3ヶ月にしました。

−11月スタートにも意味があるんですか?

10月の方が区切りが良いんですが、それだと新担当に全然引き継ぎができないんです。
1ヶ月にかけて徐々に引き継ぐ方が良いと思ったので、
10月いっぱいは目標を持たず、ひたすら引き継ぎをするという時間にしました。
この期間を設けたお陰で休みはじっくり休めたので、これは良かったかなと思います。
ただ、2月から戻るんですが、先ほど話したように途中からだとお客さんを持たないので、
2~3月は暇でしたね。笑

−戻った時はどんな感じだったんですか?

初日とかは超気恥ずかしかったですね。
「恥ずかしながら帰ってきました」みたいな。
みんな声をかけてくれて、育休中の話もしたいんですけど
「いやこっちも仕事あるんで(笑)」みたいな変な感じになってましたね。
戻った時は「取り返さなきゃ」みたいな気負いが最初は凄いあったので、
1週間くらいはバランスをとりずらかった気がしますね。

 

育休前の働き方改革

−育休前は奥さんとどう過ごすかとか話していたんですか?

一緒に「整える」というコンセプトを決めました。
何か特別な体験をするとかっていうことではなく、
今共働きをしていておざなりになってることって結構あるよねと。
部屋を片付けるとか、そういう日常のクオリティを上げようという話をしていました。

−育休前の働き方はどんな感じだったんですか?

仕事の方は、育休を取るって決めるまでは大した営業じゃなかったんです。
だけど、育休取るって決めちゃったから何か一個くらい爪痕を残してかないと格好つかないんじゃないかと思って、そこから結構頑張りましたね。

−仕事を頑張ろうと思うと、ともするとこれまで以上に仕事に時間をかけてしまいがちなんじゃないかと思うのですが、そこはどう考えて実際どう動いていったんですか?

あと半年で成果を出さなければいけないという“お尻”が決まったので、初めて生産性ということを考え始めました。
それまでは全く考えたことがなかったんです。死ぬまでとりあえずやりまくろうみたいな。笑
「半年で成果が出るようなものだけ」にフォーカスしてやろうと決めました。
日常の売り上げを上げるため以外に、何か部内に成果が出るものをやろうと初めて思いましたね。
復帰後にその時に手掛けていた仕事でTOPGUNという全社営業が対象のアワードをいただくことができたのも、
期限が決まっていなかったらやっていなかったと思います。

−奥さんってどんな方なんですか?

元々リクルートエージェントにプロパーで入っていて、独身時代はバリバリ働いていた人でした。
子供ができてからは時短で働いています。
一人目の時はもちろん慣れないので大変ですが、今思えば子育ての負荷も少なかったので、自分のペースを掴んで働いていたなっていう感じがします。

 

育休中の過ごし方

−3ヶ月間はどんな風に過ごしたんですか?

11月当初は、習得するために家事を極力全部自分一人でやりたいと思っていたので、
妻に一から教えてもらっていました。
それまでは「風呂掃除たまにする、以上!」みたいな感じだったので(笑)、
ほんとに一から教えてもらいました。
飯を作るのだけはどうしても向いていなかったので、奥さんにやってもらっていましたね。
子供を朝送っていって、掃除、洗濯、洗い物などをやって、14時半くらいに子どもを迎えに行き、公園で遊ばせて帰ってきたら
お風呂に入れて着替えさせ、ご飯は作ってくれるので僕が食べさせ、テレビを一緒に見て絵本読んで寝かしつけする。
最初の1週間くらいはそんな一連の流れをやっていましたね。

それを続けていこうと思っいたら、
次男が熱を出して肺炎で入院するという事件が起きました。
そこは、親が宿泊ができない病院だったので、
朝病院に行って、夕方まで看病をして帰って、また翌朝病院へ行く、というように
誰かがずっとついていなければいけないという状況でした。
「これ、育休じゃなかったら本当に終わってたな」と思いましたよ。
そんなことをしながら、毎日にちょっと慣れてきて11月は終わりです。

12月は旅行に行きたいと思っていたので、ハワイに10日間くらい行きました。
キッチン付きのコンドミニアムに泊まって、予定を詰め過ぎずのんびりと過ごしました。

1月はいよいよ最終月なので、最後の思い出作りと思って小さな旅行に行ったり、
実はあまり手をつけられていなかった「整える」ことをしたり。
このくらいの頃になるとだいぶ家事もできるようになっているので、
気持ちのゆとりが一番あったと思いますね。


−はじめ11月に家事育児をやり始めた時ってどんな風に思いましたか?

忙しいなー!って思いましたね。笑
特に送っていく朝とかは、分刻みのスケジュールだし、
意外と送って家に帰ってきてからも暇じゃないことに驚きました。
育休中にブログを書いていましたが、最初の頃はそんなことを書いていますね。
あとは、自分が好きな家事と嫌いな家事があるということに気がつきました。
選択や洗い物は好きなんですよ。達成が見えるから。
でも掃除が嫌いで。
してすぐにまた汚れていくので、何のためにやってんだろうってなっちゃうんです。笑
細かい家電への不満とも出てきたりしましたね。
「俺だったら絶対こんな設計しない」とか言ってましたね。

−やってみて初めて気づくことも多いですよね。ブログはずっと書いていたんですか?

実際は、毎日は書けなかったんですよね。
そもそも書く余裕があまりなかったのと、
最初の頃凄い頑張って書いていたら奥さんに怒られたんですよ。笑
「いや何のために育休とったんだ、家族と過ごすんじゃないの?」と。
すみませんと言ってそこからはちょっと控えましたね。笑

−これはあるあるネタですね。僕も完全に同じでした。

ブログで言うと、僕はアメブロで書いてFacebookで更新しましたってシェアしていたんですが、
僕の投稿にたまたま奥さんが「いいね」をした時があって、
それを保育園のママ友たちが見て「長尾さんのとこの旦那がブログ書いてるらしいよ」という噂になり、
密かに見られているみたいな感じになっていたのを後から知りました。

毎日保育園にお迎えに行って、近くの公園で1時間くらい遊ばせていたんですが、
毎日行っていると他の子のお父さんよりは近い間柄になっていて、
男が僕しかいないので「鬼ごっこやろう」とかめちゃ誘われるんですよね。
ママ友の間では「長尾さんがいると便利よね(笑)」みたいな感じで、付かず離れずの関係でしたね。

−育児にコミットする方は地域の活動に入っていく方が多いですよね。

それまで知らなかったことでも、自分がやるべきことがあると一度知ってしまうと
「何とかしたい」っていう謎の正義感がみんな芽生えるんじゃないですかね。笑

−育休中にしんどかったことってありますか?

やっぱり3ヶ月間ずっと一緒にいるので、奥さんとはギクシャクというか変な空気感になることはありましたね。
その度に話し合って、結局は前よりも理解しあえたり、解決法を決めたりできたのは良かったです。
僕は一人っ子だったこともあり、一人の時間が大事な方なので、はじめはそこがしんどかったりもしました。

−それはどう解決されたんですか?

バランスが取れてきた1月くらいは「一人でサウナ行ってきても良いかな」とか、
奥さんも「一人で買い物に行ってくる」とかそういうことが上手くできるようになりましたね。
それは今でも続いていますね。
僕はゴルフもやらないので、もともと土日は家族とずっと過ごすことが多かったんですが、
育休の後はお互いの一人時間も大事にしようという尊重のスタンスになれたと思います。

 

夫婦それぞれを尊重できるような関係に

−家族ファーストで取った育休とはいえ、自分のやりたいことに時間を使えない葛藤みたいなものも感じていましたか?

あんまりなかったですね。
結婚して子供が生まれた時で「人生の第1章終わり」っていう感覚になったんです。
それまでは主人公が自分だったんですが、そこからはもう家族にスイッチが変わっていたんですよね。

−それは意外とみんなできない切り替えですよね。

僕は育った家が放任主義だったので、かなり好き勝手に生きてきたんです。
学生時代はぶっといピアスして、バンドやって、受験もなくて、
やりたいことやり切ったからもういいかなと思ってました。
今でも、平日は結構自由に飲みに行ったりさせてもらっています。
ただ、木曜だけは僕がお迎えに行くと決めているので、
16時半に会社を出て、お迎え行ってご飯食べて寝かしつけまでやります。
なので、その日は奥さんが遅くまで働くも、飲みに行くも自由に時間を使っています。

−その木曜システムはどうやって辿り着いたんですか?

育休明けてからすぐに元に戻ってしまうのは勿体無いので、
最初は毎日何があってもこの時間には帰ろうと決めてやり出したんです。
ですが、全く上手く回らず。笑
で、見直そうとした時にちょうど始まっていたリモートワークのシステムを
導入させてもらって、木曜はそれをやるようにしたんです。
その後担当業務が変わって、打ち合わせに出ないといけなくなったので
リモートワークではなく、木曜は時短勤務というかたちで継続することになったんです。
スケジューラにも登録してますし、周りも「今日お迎えでしたよね」って言ってくれています。
毎回バチっと16時半に仕事が終わるわけでもないので、
子供をがTV見ている間に1時間くらい仕事したりもしています。
早帰りした後はもう絶対仕事ができない、と思うよりも精神的にも楽ですね。





「最近の朝は、風呂掃除、子供のご飯のプッシュ、歯磨き、洗い物、前日の乾燥が終わった洗濯物を畳む、学校の準備、車で子供を送っていくっていうのが毎朝のルーティン。
それぞれは出来るようになっているので、前だったら要求されないレベルまで上がっているのが辛いところですけどね。」
と笑いながら語る長尾さんは、
育休をきっかけに自分なりのワークライフバランスを見つけていて
とても楽しそうに生きていらっしゃる方でした。

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長尾さんが取得して以来、リクルートキャリアでは育休取得者が徐々に増えているそう。
現在も半年間の育休を取っている方がいらっしゃるんだとか。
一年先に取得した先輩とともに、先駆者として切り開いた道の価値はとても大きいと思います。
長尾さん、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました!

次回は、長尾さんが育休取得を決めたきっかけにもなった先輩で、
現在はリクルートを卒業され、株式会社ミライフを経営されている佐藤雄佑さん

インタビューをご紹介します。

妻からの「RE:育休最終日に思う育休を絶対にとった方が良い3つの理由」

育休から明けて1日。
1ヶ月以上ぶりの職場は、何とも恥ずかしいというか、フワフワした気持ちになってしまいました。

たった1ヶ月ですら、
「何か変わったことはあるかな」
「あれは今どんな感じで進んでるんだろう」
「すぐについていけるだろうか(置いていかれないだろうか)」
なんて思っていました。

ということは、
一年の育休から明けて帰ってくるワーキングマザーたちは
ほんとに色々必死だし、いくら優秀な人でも不安が大きいんだろうなと思います。

これを少しでも体感できたのは経験としてとても良かったです。

家に帰ると、なんと妻が
「私視点での育休を振り返って書いてみた」
と言って送ってきてくれたのが、こちら。
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(原文ままです)
***
実は私は夫の育休取得を周りには殆ど話していない。
それは"いいパパだね""優しいね"と言われるのがあまりにも現実と掛け離れ過ぎていて嫌だったから。
育休取得前までも育児に関してブログを書いたりしていたけれど、実際は私からすれば「いいとこどり育児」。
・お風呂は一緒に入るだけ
・お出掛けの時は自分の準備だけして待っている
・気が向いた時に用意されたごはんを食べさせるだけ
・絵本も文字の少ないものしか読まない
・何をしても怒らない「ママがダメって言ってるよ!」
そんな夫の育休取得を受け入れるところから一ヶ月強が終了するまでを振り返ってみる。


【起】 育休=育児"休暇"?
そもそも夫が育休を取ると言いだした時、私は反対だった。
家事育児は1人で問題なく回せていたし、なんなら1人の方がうまく回るからだ。
育休取得の目的を聞いてみると、これまで時間がなくてできなかったことがしたいと言う。
どうやら育児休業を"休暇"と履き違えているようだった。
しかし逆に私はそれならばと「休暇期間」として受け入れると決めた。
これからまだ何十年と働いていく中で、これだけまとまった休みをとるチャンスはそうないので、まぁ好きに過ごせばいいと思ったのです。


【承】イクメンアピールに苛立ち
育休が始まっても本人の目的通り、自由に出掛け半分は家にいなかった。
1人出掛けて行き、ごはんを食べに帰ってきて、家ではひたすらブログを書いている。
そのブログを夫が早々に寝た後1人読む...
休暇と思えば受け入れられたのに、偉そうに育児ブログを書いていることに苛立ちが抑えられなかった。


【転】夫への課題
育休が半分も過ぎ、育児ブログへの苛立ちがピークに差し掛かったところで夫へ課題を課すことにしてみた。

『1日の家事育児を通してメインでやってみる』

..とは言っても、家事育児をこなしてほしいわけではなく、音をあげてほしかったのが正直なところ。
予め組み立てた通りにはいかないもどかしさ、達成感や満足感の得られにくさを体感して理解してほしかった。
どちらかというと完璧主義な私にとって夫に任せることは逆にしんどいことだったけれど、我慢してでもやってもらってよかったなと思う。
苦労を理解してくれたり、頑張りを認めてくれたり、これから少し負担してくれたり....
夫婦によって結果は違うと思うけど、前向きな変化はきっと起こるはず。


【結】対話からの変化
夫への課題に対して2人で振り返りをすることで、家事育児に関してだけでなく家族の在り方まで話し合う機会となった。
ここから夫の育休の過ごし方が大きく変わった様に思う。
変わらず外へ出て行ってはいたけれど、ベースにはしっかりと家族があったし、話をしたからこそ然るべきタイミングで助けてくれることが格段に増えた。

私たちは対話をするまでに、殆どの育休期間を費やしてしまったが、最後の一週間はとても頼もしかったです。
男性育休取得率がまだまだ低い中、
決断をして育休をとってくれてありがとう。
そしてちゃんと向き合ってくれてありがとう。
***


自分で書くとカッコつけて省いていた部分も
ちゃんと克明に描かれています。笑

文量的に後半の「ちょっと良い感じになったエピソード」が少ないのは当たり前で、
5週間ほどの育休のうち、最後の1週間くらいがようやく人並みの育休生活になったからなんですよね。

「合格点が見えるかなー?くらいで終わったね」と笑いながら話してくれる妻を見て、
やっぱり本番はこれからだなと思わされました。

書いてくれてありがとう。

育休最終日に思う育休を絶対にとった方が良い3つの理由

育休37日目。

今日で約1ヶ月の育児休業期間が終了します。
この1ヶ月間は楽しいこと嬉しい瞬間もたくさんありましたが、
しんどい時間もかなり多かったです。
それは多分に、僕の"準備不足"のせいでぶつかった壁でした。

そして僕がしんどかったということは、
恐らく同じくらいかそれ以上に妻はしんどかったのではないかと思います。
それでも付き合い続けてくれたことに感謝しています。

毎日書くと宣言しておきながら、何日か書けていない日もありますが、
今日でこの育休日記も終わり。

しんどかったと書きましたが、それでも、最終日に伝えたいことは一つだけ。
男性のみなさん、育休は『絶対に』取った方が良いです。

理由は3つ。

・人として抜群に成長できる機会だから
・こどもが0〜1歳という時期は二度と戻ってこないから
・そして、めちゃくちゃ楽しいから


1.人として抜群に成長できる
僕にとっての育休とは、
「家族と向き合い、それと同等以上に自分と向き合う時間」でした。

欧州のビジネスマンは1ヶ月くらいバカンスをとる人も多いと聞きますが、
日本で会社員として働いていて1ヶ月間も仕事から完全に離れるという時間は
なかなか確保できないという人がほとんどでしょう。
仕事脳を切り離せない日頃はなかなか、自分にとって妻とは何なのか、
娘とは何なのか、家族とは何なのか、そして働くとは何なのか、
そんなことを考える時間はなかなかありません。

ですが、育休をとると嫌でもその理想解のない問いに向き合うことになります。

なぜならば、仕事を完全に自分の頭から切り出すので、いつもより頭の中のスペースが空くから。
そうなるととれる道は3つしかありません。
1つは、毎日を過ごす家族のこと、少し遠くから見た自分の仕事や働き方について考える。
もう1つは、そうではない別のことに頭を馳せる。
そしてもう1つは何も考えずにボーッと過ごす。

僕は実は育休当初から半分を過ぎるくらいまでずっと、2番目の思考でした。

「さぁ、育休ってことは時間があるぞ。いつもなら出来ないこと、会えない人、読みたい本、いくらでもそこに時間が裂ける。」

この考えのお陰で、冒頭に書いた通りかなり苦労をしました。
そして僕以上に妻は苦労をしたと思います。

この考え自体は完全に間違っているわけでもないと僕は思いますが、
優先順位の付け方は完全に間違っています。
まずは「家族と自分との関係」について考え、話し合うことに時間を使うという
当たり前のことに気付くまでに時間がかかってしまいました。

詳しいことはまた別の機会に書きますが、この育休期間中に僕は
人生で一番大切なものは他の何でもなく「時間」であるということ、
自分にとって本当に価値のある時間の使い方は何なのか、
妻が自分に求めていることは何なのか、僕のことを思っているのか、
自分が妻に求めていることは何なのか、
成長はできない自分を受け入れることからしか始まらないということ、
そんなことをずっと考えていました。

長い時間をともに過ごし、これからもそうしていくであろう家族と向き合うというのは
とてつもなくエネルギーを使います。
仕事で人と向き合うのとは別の、そして恐らくそれよりも大変なエネルギーを使います。

先日から始めた育休先輩インタビュー(これは明日以降随時アップしていきます)でも、
みなさん家族との向き合い方を仰っていました。

育休の価値は、家事や育児のスキルが上がることではないです。
家族と向き合い、自分と向き合うことで得られる成長、
これこそが育休を取得する最大の価値でした。

かなり調子こいて偉そうな書いているので、妻から「そんな偉そうに書くほど…」という
ツッコミをいただきそうですが(笑)、僕自身はそう思っています。


2.0〜1歳という時期は二度と戻ってこない
別にこの年齢に限らず「その時」というのは二度と戻ってこないものですが、
特にこの1歳あたりは人間としての成長、変化が著しいタイミングです。
僕ら世代は65歳で仕事を引退すると思っている人はもはや少なくなっているでしょうが、
仮に65歳までだとしても、40年以上は働いていきます。

育休はその中のたった数ヶ月です。

そこを仕事休んだところで、長いキャリアで見たときの痛手は無いに等しいと思います。
仕事は後からでも頑張れますが、
こどもの成長は後からでは絶対にリアルタイムでは見れません。

育休は、生まれたその日から1歳になるまで(条件を満たすと1歳2ヶ月まで)の間の好きな時にとれます。
取得することを早めに決めれば、仕事の影響度が小さいタイミングを見計らってとることは絶対できるはず。

休みずらいからとか、みんなが休んでいないからとかいう理由で
育休を取らないのは、思考があまりにも近視眼的すぎます。
日本全体が働き方改革を掲げる2017年で、育休を取ると言いだした時に
何とか取れる方法を考えて支援してくれない組織は確実に滅びていくと思います。
(日頃仕事で期待に応えているのは前提ですが)


3.めちゃくちゃ楽しい
何よりもこれが一番ですね。
子供と過ごし、妻と話し合い、家族との距離が縮まっていったり、
理解しあえたり、一緒に笑いあえる時間というのは、綺麗事とかじゃなく、想像以上に楽しいです。

もちろんいつもの週末にもそういった時間はとれますが、
何日も連続しているからこそ辿り着ける深さというものがあります。
これは育休の先輩方もみなさん同じことを仰っていました。

実際はずっと楽しいだけでなく、過ごす時間が長いからこそ発生する
辛いことも無茶苦茶たくさんあります。
それでも、まだ育休は続くから逃げられません。笑
それが育休の良いところだと思います。
普段の週末程度の休みだったら、芯食った話をせずにまた平日に戻っていく。
でも、育休中は「都合の良い平日」がなかなかやってこないんですよ。笑

だから向き合うしかない。

そこを一つでも超えるとまた楽しい時間がやってきます。
その繰り返し。
それが引きの視点で見ると楽しいんです。

それから、これは2点目にもかかりますが
子供が「初〇〇」をした瞬間を一つでも奥さんと一緒に見れたら、
それだけで育休をとった価値があると思います。
マジでテンション上がりますよ。笑


壮大な「僕育休で成長したイクメンですアピール」を書いてきましたが、
僕の育休はたった一ヶ月間でした。
(だから二人目の時はもう少し長い育休を取ります、とここに宣言しておきます。笑)

まだまだ出来ないこともあるし、
妻と話し合い切れていないことも出てくるんじゃないかなと思います。
そしてたぶん、また辛い感じになるんでしょう。笑




それでも、やっぱり、






育休をとって良かった。





育休は「家族のためにとるもの」ではないと僕は思っています。



育休は自分のためにとるものです。




だから、自分がこう思えているだけでも価値があるんだと思いますが、
やっぱり僕と同じく、妻も娘もちょっとでもそう思ってくれていたら嬉しいです。




明日からの自分が育休取得前に戻らぬよう、
気を引き締めて生きていきます。




最後に、この機会をくれた
職場の皆様、そして妻、娘に心から感謝します。
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パパたちのライフシフト!ファザーリングジャパンのイベントに参加してきました

育休34日目。

間が空いてしまいました。。

一昨日はこちらのイベントに参加してきました。

主催は、いつもお世話になっている西村創一朗さんも理事として参加する
NPO法人ファザーリングジャパン。

登壇者には、子供が生まれたことをきっかけに人生を変えた方々が並びます。
復業研究家、兼業主夫、経営者、フリーランス
登壇者のお一人、元リクルートの佐藤さんには
今日個別で育休についてのインタビューもさせていただいたので
後日ここでも共有させていただきます。

登壇者の共通点は、二つ。
全員なぜか「娘がいる」ということ(笑)と
「自分で自分の働き方を決めている」ということ。

8名の登壇者全員が娘を持つパパだというのは面白かったです。
代表の安藤さんも冗談交じりに「娘じゃなかったらやってなかったかも」なんて言っていました。
やっぱり男親は圧倒的に娘に弱いですよね。

そして自分で働き方を決めているということ、
これが今回のイベントの本丸のテーマでした。
色々なキャリアを共有していただける貴重な場でしたが、
印象に残ったことを記しておきます。


地域の活動に積極的
みなさんPTAやマンションの管理組合などの地域のコミュ二ティに
滅茶苦茶入り込んでいらっしゃいました。
これはいわゆるイクメンの必須項目なんじゃないかと思うくらい、
家族を大事にしているパパは地域の活動を大事にしています。
冷静に考えれば、自分のこどもが参加するコミュニティの活動にコミットするのは
当たり前なんでしょうが、日本人はここを疎かにしている人がかなり多い気がします。
「収入を得なくても良い、地域のコミュニティやPTAを経験することで人として成長できることは山ほどある」
みなさんそんな風に仰っていたのが印象的でした。

自分の幸せの中に家族が占めるウエイトが高い
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何人かのキャリアチェンジのエピソードをピックアップすると、

①娘が「ご飯の時にパパがいないと寂しいね」と言ったことをきっかけに、自分で時間をハンドリングできる働き方にシフト。現在はファイナンシャルプランナーのパパ。

派遣社員でブラックな働き方にどんどん条件更新をされていき「これを続けても今以上の幸せは絶対ない」と確信して退職。「その時々の家族の幸せを考える。それが今は兼業主夫なだけ」兼業主夫として家族を支えるパパ。

③長年勤めた大手企業を退職する時の伝え方は、「×俺やめようと思っている」
「◎どのくらいの期間なら収入が少なくてもOK?踏み出そうと思うんだけど応援してくれるか?」と相談したパパ。

④ほんとに人生を後悔するとしたらなんだろう?「家族だと思った」
保育園は送りももちろんだけど、「パパー!」と向かってくるお迎えの瞬間の方が幸福度が高い。だから必ずお迎えも行くというパパ。

転職、起業が凄いとかワーママは凄いとかだけで語るのは違う
こういう話をしていると、転職・起業ありきのキャリア論になったり、
「ワーママが凄い、専業主婦は怠けている」みたいに聞こえてしまうけれどもそれは違う。
会社を変えることは難しければ上に上がって自分の部署だけでも変えれば良い。
自分が嫌だったマネジメントを若手にしないような組織を作る、そういうキャリアも選択肢の一つ。
そんな話も出ていました。


みなさん、家族を理由にキャリアチェンジをされていますが、
「そうした方が家族が喜ぶから」という理由ではなく、「自分が家族といたいから」という自分の理由で動いているのがとても印象的でした。